キリストのために生きる

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聖書の言葉

その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。

新約聖書 コリントの信徒への手紙二 5章15節

宮﨑契一によるメッセージ

今朝もご一緒に聖書の言葉から教えられたいと願います。今朝は、私たちが誰のために生きることが一番の幸せなのか、ということについて考えてみたいと思います。

私たちがよく考えることは、おそらく、結局自分は自分のために生きることが一番の幸せなのではないか、ということだと思います。自分がこういう大学に行き、こういう仕事に就いて、こういう人と結婚して、自分の思い通りのことを実現する幸せ、そのことを私たちは良く考えるのではないでしょうか。

しかし、私たちの人生・生涯は、決して私たちの思い通りに行くものではありません。人生の中では思いがけないことが起こります。自分にとって、それは避けたい、嫌だ、ということも起こります。受け入れられないことが起こります。自分の思い通りに、全部実現して、本当に幸せだった、ということは実はないのではないか。むしろ、いろんな壁にぶつかっていく中で、自分にとって思いがけない方向に行くことになって、ただそこに、自分が本当に生きることがあったのだと、教えられるのだと思います。

聖書に書かれている神様の救いは、そのようにして私たちに与えられるものです。聖書の中に、パウロという人が出てきます。パウロは、本当に教会のために命を献げてキリストのために生きた人です。けれども、元々パウロは、イエス・キリストを信じるなどということは一番考えられないような人でした。教会を憎み、キリストを憎んで、攻撃していました。教会の人を捕らえたり、その命を奪う事さえ厭いませんでした。そのように彼は生きていました。

しかし、その時突然、彼が思いもしない時に、イエス・キリストとの出会いが与えられます。そして、このキリストを知るということがあまりにすばらしいことでしたから、パウロは今度は、このキリストを伝える人になりました。キリストに出会って、キリストのため、教会のために生きる人にされたのです。このパウロのように、それまで、キリストを憎んでいたような人、救いからは遠いような人をも、神様は救われます。これは、パウロにとって思いがけないことでした。

私もイエス・キリストを信じていますけれども、そのことも自分の人生がなかなか思うように行かない、思い通りに進まない、そういう中でこの出会いが与えられたように思います。私は、自分は良い大学に行き、こういう仕事に就ければ良い人生を送ることができる、高校生の時何となくそういうことを考えていました。今考えると、単純で浅はかなことのように思うのですけれども、当時はそういうふうに思っていました。ただ、自分が生きる、ということしか考えていませんでした。自分がここに行きたい、自分がこれをしたい、ただそのことだけでした。キリストのために生きる、ということはありませんでしたし、教会のため周りの人たちのために生きる、ということもありません。

結局私の場合、自分のために生きる、そのようにこれまで考えていたことは全て上手く行きませんでした。夢は全て砕かれました。そういう中で、私は大学生の時に、イエス・キリストを信じる思い、罪人である自分もキリストに救われているという喜び、そのことが初めて与えられるようになりました。それは、私にとって本当に嬉しいことでした。

聖書が私たちに教えていることは、私たちにとって、ただ自分のために生きる人生は、決して幸せなものではないということです。聖書の神は、私たちの生涯に、時に思いがけないことをなさいます。私たちのそれまでの生き方や考え方を砕かれます。そして、イエス・キリストとの出会いを私たちに与えてくださるのです。パウロもそのように、キリストとの出会いが与えられました。そして、彼は単に自分のために生きるということを超えてキリストのために生きる生涯へと導かれて行きます。

キリストのために生きることについて、パウロは、最初にお読みした聖書の個所でこう言っています。「その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。」

何でパウロが自分のためではなく、キリストのために生きるようになったのでしょうか。それは、キリストが、それほどのことをしてくださったからです。「その一人の方(キリスト)はすべての人のために死んでくださった」。こういうキリストの十字架の出来事のことが言われています。その一人の方は全ての人のために死んでくださいました。全ての人のため、です。ラジオを聞いておられるあなたもキリストと無関係ではありません。

では、何のために死んでくださったのか。先ほどの聖書の個所では、「その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです」とあります。

もはや自分自身のために生きるのではなく、私たちのために死んで復活してくださったキリストのために生きる。そのためにキリストはすべての人のために死んでくださいました。聖書が語っているのは、あなたにとってイエス・キリストのために生きることが一番の幸せだということです。どうぞ、お近くのキリスト教会に行かれてみてください。

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