大きな希望を与えてくださる神

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聖書の言葉

イエスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」

新約聖書 マタイによる福音書 13章31~32節

宮武輝彦によるメッセージ

はじめまして。2014年8月に高知県安芸市にある芸陽教会から、京都府八幡市にある男山教会に赴任してきました、宮武輝彦と申します。今日は、ラジオをお聞きの皆さんに、わたしが生まれ育った広島教会の最初の頃の様子をお伝えしながら、キリストの救いをお伝えしたいと思います。

わたしは、今の広島市中区で生まれました。昭和40年、1965年のことです。同じ中区八丁堀にある広島YMCA保育所に二年前の1963年に開設された広島教会で幼児洗礼を受けました。幼児洗礼とは、イエス・キリストを信じる親の信仰の誓いによって授けられるものです。

わたしは両親がクリスチャンでしたので、その信仰の誓いによって幼児洗礼を授けられました。司式は、アメリカから日本に来られたウィントン・エンロー宣教師でした。

このウィントン・エンロー宣教師は、子どもながらに覚えているのは、とても背の高い方で、いつもにこやかな笑顔を絶やさない人であったということです。それは、大人になってからも変わることのない印象でした。

当時の、広島YMCAでの礼拝の様子を、エンロー宣教師の夫人のキティ・エンローさんは、後に広島教会婦人会に宛てた手紙の中で、このように書き残しておられます。

「保育園は、週の六日間はふさがっていましたので、土曜日の夜までその建物には入れませんでした。土曜日の夜は毎晩、ウィントンと私は、折りたたみ椅子、説教台、讃美歌、聖書、生け花を古いトヨタの車に積み込み、YMCAに運びました。ベビーベッドを一方に寄せて、床を掃除し、椅子を据えました。日曜礼拝が終わるとこれらすべて、逆のことをしなければなりません。椅子を、又、夕礼拝のためにわが家のリビングルームにセットしなければなりませんでした。まもなくすると、そのベビーベッドは役に立つようになりました。1965年4人の赤ちゃんが教会員に生まれたからです。・・すばらしい新しい教会のはじまりでした。」

広島教会はその後、広島市の街中から、市内を見下ろす山辺に開発された、新しい住宅地に移りました。そこで新しい会堂を与えられました。更地で起工式が行われたときの写真には、わたしと妹の幼い時の写真が残っています。昭和43年、1968年に、広島教会の新会堂が完成しました。この新会堂は、フィリップ・ライオンズ君という難病のため、10歳で、神さまのもとに召された男の子のささげものによって建てられました。

1989年に広島教会が創立25周年の迎えた時、エンロー宣教師は、「全ての物を主(イエス)に捧げた少年」と題して説教をしました。そのときに読まれた聖書の御言葉は、ヨハネによる福音書の6章1節から15節でした。その箇所を一部お読みしましょう。

「・・弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。 「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」 イエスは、「人々を座らせなさい」と言われた。そこには草がたくさん生えていた。男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった。 さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。

人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われた。 集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった。」

エンロー宣教師が、この聖書の言葉からの説教された時に、あのフィリップ・ライオンズ君のささげものが紹介されたのを覚えています。1人の少年がもっていた、二匹の魚と五つのパンを、イエス・キリストが祝福された時、5000人々が養われたように、フィリップ・ライオンズ君のささげた小さなささげものは、大きな祝福となって、広島教会の新会堂建築を見ることになったのです。それはただ、神さまの尽きることのない恵みに祝福によることです。

その後、広島教会の新会堂は、台風の被害を受けて会堂の屋根が吹き飛んでしまい、別の土地に移転しました。とても残念なことでしたが、現在も、1968年当時の会堂と同様に、新興の住宅地で、新たな土地と会堂を得て、地域の人々に向けて、イエス・キリストの救いを宣べ伝え続けています。

このように、広島教会のはじまりとその後の歩みは、多くのキリスト教会と同じように小さな始まりでしたが、絶えることなく、神さまが大きな恵みと祝福を注ぎ続けてくださったことを思います。

今日のお話の終わりに、キリストの喜びの知らせ、福音を人々に伝えたパウロという人の言葉を心に留めたいと思います。

「あなたがたにまで伝えられた福音は、世界中至るところでそうであるように、あなたがたのところでも、神の恵みを聞いて真に悟った日から、実を結んで成長しています。」(コロサイの信徒への手紙1章6節)

たとえ最初は小さな一歩でも、キリストが祝福してくださるとき、それは将来への大きな喜びの始まりとなります。あなたも、ぜひ、この大きな喜びをともにしてください。そして、お近くの教会へお出でください。

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