十字架への道

キリストへの時間のトップページへ戻る

聖書の言葉

さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

新約聖書 マタイによる福音書 27章45~46節

城下忠司によるメッセージ

10年ほど前に、皆さんも観られたことと思いますが、メル・ギブソンというアメリカの監督が作られた『パッション』という映画が上映されました。イエス・キリストが民衆に裏切られて十字架に掛けられるまでの処刑の姿を衝撃的な映像で描きました。この映画からはイエス・キリストの苦難が深く理解できたように思いました。

さて、読売新聞の文芸欄に大きな見出しで「キリスト受難追体験の『線』」という題で、バ-ネット・ニュ-マン展によせてという記事が目にとまりました。滋賀県の信楽の近くにあるMIHO MUSEUMで開催され、この方が抽象絵画の有名な方で、作品はイエス・キリストの受難を裁判から埋葬までを14の場面として描いている抽象絵画であることなどを知りました。どうしても見たいという思いがあり、すべてが整えられて5月には鑑賞することが許されました。

この絵は「イエス・キリストの受難」その《十字架の道ゆき》について表現するため14枚で構成されていてイエス・キリストが死刑宣告を受けるところから始まり、彼が十字架を背負って歩き、ゴルゴタの丘で磔の死をとげ、埋葬されるまでが描かれているものです。十字架の苦難を描いて迫る『パッション』と比べると、何一つ具体的なものの姿は目には写らず、縦に白と黒の線だけによるニュ-マンの絵画の前に立ったとき、不思議な感覚に襲われました。

マタイによる福音書27章45節46節には、「さて、昼の12時に、全知は暗くなり、それが3時まで続いた。3時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。『エリ、エリ、レマ、サバクタニ。』これは、『わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか』という意味である」とあります。イエス・キリストの受難については、このマタイによる福音書27章全体が詳細に記しているところです。

さて、イエスさまは、神を冒瀆した者としてユダヤの最高裁判所により、ユダヤ教に反逆するものとして十字架につけられて殺されました。この処刑は人間の手によるものでしたが、実は神の御心であったと聖書は語ります。神は私たちの罪の重さ、罪の醜さ、罪の悲しみと、そして神の怒りと呪い、また神の裁きをすべて十字架のイエスに向けておられるのです。

パッションではあまりにも酷い描写がされ、恐怖までも伝わってくる映像でした。一方ニューマンの描いた絵画からは、あくまでも静謐で魂を研ぎ澄ませて向かう気持ちになりました、ギブソンの映画と比較して見ると、具体的には何も描かれてない、白と黒の縦の線でしか表現されず、なぜか、ニュ-マンの絵は、神さまに向かって垂直に、あくまでも純粋で、魂に語りかけてくる何かを感じることができました。ニュ-マンはキリストの「なぜ私を?何のために捨てたのか」という叫びを、絵画をとおして、見る人々に受難という意味を心の内に起こそうと試みたと、語っています。

さて、「わが神、わが神、なぜ、私をお見捨てになるのですか」という意味の言葉は、神の子であるイエス・キリストが「なぜあなたは私を見捨てたのか」何の目的のために?これは苦しみのなかから出てきたキリストの告白です。叫びです。なぜ、私はこんなに苦しまなければならないのか。なぜ嘆きの道を歩む者なのか、というこのイエスさまの叫びは神さまから捨てられるという苦しみの叫びでした。ここではイエスさまが御自分を罪人の側に置き、罪人の代表として受けた苦しみの叫びでありました。そして、この叫びは絶望の叫びでありました。イエスさまは神の御子であったにもかかわらず、人としては死を恐れ、罪人たちすべての者の代表として神さまの裁きの前に立たされているための叫びでした。

イエスさまは絶望のただ中にあっても、その心は父である神さまに信頼をおき、神さまに全き従順を示された姿を見ることができます。また、イエスさまの従順は神さまに背き続ける私たちの罪の罰を身に受けるため、恐ろしい死と闘ってくださるためでした。私たちはいつまでも罪を犯し続ける者です。それゆえ、十字架は私たち罪人を受け入れ赦してくださる神さまの愛の現れと言えます。

聖書はこのあと、イエスさまが十字架の上で「成し遂げられた」そして「霊をゆだねます」と祈られたことを記しています。この祈で明らかなのは私たちが闘うべき戦いに代わって勝利し、すべてが成し遂げられたことを明らかになさったのであります。

何よりもイエスさまの十字架こそは私たちが神さまに負っている借金をすべて取り除き、神さまの前に出ることがゆるされるようにしてくださった、その恵みの証しであります。聖書は二ュ-マンの「なぜ」の問いは、また、ギブソンの『パッション』の映画の意味は、苦難によるキリストの、人類への救いを教えてくれるものであります。

私は二千年前の十字架の出来事が語り続けられ、今もなお人類の救いのために十字架につけられたイエス・キリストというお方がいるという事実を知っていただきたいと心から願っています。

関連する番組