AKB48における神①

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聖書の言葉

目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。

旧約聖書 詩編 121編1節

赤石純也によるメッセージ

今朝は、この曲なら当然知っているという方にお話ししたいと思います。

♪音楽

次の曲はご存知ですか。高層ビルの森で私は stray sheep だと歌うこの曲です。

♪音楽

私は stray sheep、私は迷える羊だと言っていますね。私の助けはどこから来るのかと目を上げても、高層ビルの森だという情景です。そのときに、「助けて」とか「守って」と、誰に呼びかけているか、聞いてみてください。

♪音楽

ジーザスなんて照れていますが、イエス・キリストに向かって「助けて」とか「守って」とか「あなたが風のように現れて」と繰り返しています。迷える羊がキリストを呼んでいる聖書の歌なのですね。

そうかと思うと別の曲ではこうです、「いくつもの罪を青い空が赦してくれる。人は誰でも愚かな過去を償える」、こんなことをみーちゃんとともちんとたかみなが3人で歌います。

♪音楽

こんなふうに、人は誰でも愚かな過去を償えるとか、いくつもの罪を赦してもらえると歌っていますが、その先では「後悔の涙を流すより先に祈りを捧げる」と歌います。

♪音楽

こんなふうにAKBも、後悔の涙を流すより先に祈りを捧げると歌い、人は誰でも罪を赦してもらえると歌い、迷える羊がイエス・キリストに向かって助けてとか守ってと叫ぶ歌を歌っているのですね。このAKBの重要な活動の一つに、東日本大震災の被災地を巡るコンサートがあります。そのときの中心になるのが、最初に聞いていただいた曲です。「この変わり果てた大地の空白に、言葉を失って立ち尽くしていた。何から先に手を付ければいい。絶望の中に光を探す」、こう歌い始める。

♪音楽

「絶望の中に光を探す」というのですが、どう探すのでしょうか。それがここでも祈りになります。すこし斜に構えて、「どこかに神がいるなら、もう一度新しい世界をこの地に開かせてくれ」、こう祈ります。

♪音楽

別に「どこかに神がいるなら」なんて斜に構えなくても、キリストに助けを求めたり、涙を流すより先に祈るということはAKBにとっては普通のことですので、絶望の中に光を探すんだと言って、神に祈り始めたのですね。

その結果とうとう、こう言えるようになります。「それでも私は強く生きてゆく。さあ、たった一つレンガを積むことから始めようか」。

♪音楽

そしてこういう認識に至ります。「すべて失って途方に暮れても、確かに私はここに存在する。前を塞いでる瓦礫をどかして今を生きる」。

♪音楽

そして最後に「今日という日がそう、つらい一日でも、できることを始めようか」こう言いながら立ち上がって、この歌は終わります。

♪音楽

「今日という日がそう、つらい一日でも、できることを始めようか」。

あるときは迷える羊としてイエス・キリストの助けや守りを求める。あるときは、絶望の中に光を探すと言って、神に祈り始める。そして、すべてを失っても私はここに存在する、前を塞いでる瓦礫をどかして、できることを始めよう、こう言って立ち上がっていく。これは聖書に書いてあるとおりの、私たちの生き方です。

ではもう一度、AKB48の「風は吹いている」を聞きましょう。

♪音楽

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