ケーテ・コルヴィッツの作品と生涯①

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聖書の言葉

ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから。

新約聖書 マタイによる福音書 2章18節

吉田実によるメッセージ

今回は2回続けて久しぶりに美術作品に関するお話をさせていただきます。20世紀ドイツを代表いたします女性の版画家であり彫刻家でもありますケーテ・コルヴィッツの作品と生涯をご紹介いたします。

ケーテ・コルヴィッツはドイツ帝国からヴァイマル共和国、そしてナチス・ドイツという激動の時代を生きて、苦悩しつつ制作を続けた女性芸術家です。特に「貧困」と「戦争」という厳しい現実とまっすぐに向かい合いながら、女性として母親としてのまなざしでそれらの悲惨を見つめ続け、作品を通して訴え続けた芸術家と言えるでしょう。

ケーテは1867年に東プロセインのケーニヒスベルクで左官屋の親方の娘として生まれました。父親のカールは元々大学で法学を修めて判事補をしていた人物でしたが、反動的な国家に仕えるより職人として生きる道を自ら選んで修業を積み、左官屋の親方になったのです。また、祖父のユーリウス・ルップはケーニヒスベルクでは良く知られた牧師であり神学者でしたが、王権神授説を唱える国家とそれに結び付いた教会を批判したために牧師職を追われ、独自に自由教団を設立した人物でした。

ケーテはそのような、それぞれの立場で自由のために戦う父や祖父の姿を見ながら育ちました。やがて絵画の才能に目覚めたケーテはベルリンの美術大学で絵画を学び始めますけれども、自分には色彩よりもデッサンの才能があることに気付いたケーテは、版画による白黒の世界に自分自身の世界を見出してゆきます。

そんな中、幼なじみであり貧しい人々のための医者になることを志していたカール・コルヴィッツと結婚をいたしまして、ベルリンの貧民街に移り住みまして、ケーテは夫の手伝いをしながら貧しい労働者たちの苦悩を目の当たりにいたします。そしてそのような、貧しくとも懸命に生きる人々の姿を描き始めるのです。それは単なる同情心からではなくて、彼らの中に「命の美」を見出したからでした。

そんなケーテ・コルヴィッツは、やがて連作版画「織工の蜂起」を制作いたします。それは産業革命によって紡績機械が導入され、用無しとなって見捨てられた織工たちの暴動と流血による鎮圧という出来事を6枚の版画に描いたものでした。この「織工の蜂起」は高く評価され、ケーテ・コルヴィッツは画家としての実力を認められて行きます。そして「歴史芸術家協会」からの依頼を受けまして、新たな連作版画「農民戦争」を制作いたします。

農民戦争とは1524年から25年にわたってドイツで起こった農民一揆です。当時のドイツ連邦国家が農民に課した重税、農奴制の復活、村落自治の制限などに対して農民たちの不満が爆発したのです。農民たちは農奴制の撤廃と人間の平等な諸権利を要求して立ち上がりました。しかし十分な組織力を持たない農民軍は徐々に諸侯の軍隊に敗れ、結局闘いは農民たちの敗北に終わり、約10万人もの農民の命が失われたと言われています。

ケーテはこの仕事を引き受けることによって、かつて「織工の蜂起」で取り上げた問題が時代を超えた普遍的な問題であることを示そうとしたのです。ケーテはこの「農民戦争」という主題を七つの場面によって描きました。その第六番目の作品「戦場」をご紹介いたします。暗闇の中で一人の女性がランプの灯りを頼りに何かを探しています。いったい何を探しているのでしょうか。じつは、彼女は戦いが終わった戦場で、おびただしい死体の山から自分の息子の亡骸を探しているのです。そこには戦う兵士たちの姿も武器も描かれてはいません。けれどもそこに描かれているのは紛れもなく「戦場」の悲惨そのものです。「戦争が起こると、沢山の人間が死ぬ。そして死んだ者たちの後に、死ぬよりもつらい悲しみが残る。それを担うのは、いつも女たちだ」。そんなケーテ・コルヴィッツの声がこの画面から伝わって来るようです。

この時ケーテにはすでに二人の息子がいました。長男のハンスと二男のペーターです。このランプに照らし出されている少年の顔は、二男のペーターをモデルにして描かれました。またケーテはこの「戦場」を描くに当たり、習作「死んだ子供を抱く女」も残しています。そこには、まるで怪物が子供を食らっているかのように見えるほどの、死んだ息子を抱きしめて嘆き悲しむ、常軌を逸した母親の姿が描かれています。そしてそれはケーテ自身の姿でもありました。そこに描かれている死んだ少年の顔も、二男のペーターをモデルにしているのです。「もしもペーターが本当に死ぬようなことがあったら、自分はこんなふうになりふり構わず嘆くに違いない」。そんな想像力を働かせながらケーテは描いたのです。そしてそれはただの想像ではなくなります。時代の暗雲は、次第に若者たちの貴い命を飲み込んで行くのです。

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