神の摂理を信じる

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聖書の言葉

「しかし、今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。」

旧約聖書 創世記 45章5節

吉田実によるメッセージ

突然ですが、なぞなぞをしますので考えてみて下さい。

「与えれば与えるほど、増えるものってなあに。」

お分かりでしょうか。答えは「愛」です。

ドイツの詩人であるミュラーという人は「愛は幸福の財布である。与えれば与えるほど、中身を増す」と言いました。普通財布の中身はお金でありまして、当たり前ですがお金は使えば使うほど減っていきます。けれども、本当の幸せのための財布の中身はお金ではなくて「愛」だというのです。そしてその「愛」は与えれば与えるほど逆に増えて行くというのです。つまり、人を愛して、愛を持って行動すればするほど、自分自身の内にある愛はさらに豊かになって、その愛を受ける人も共に豊かになってゆく。そうやって人は幸せになることが出来るのだということだと思います。

またフランスの格言には「愛はいつも、一層深まってゆくか、だんだん冷えて行くかのどちらかである」という言葉があります。愛は生きて働くものなので、じっとしていないのです。それは増えて行くか減っていくかどちらかだというわけです。

そうなのかもしれません。そしてもしそうであるなら、本当の幸せのための財布の中身である愛は、与えれば与えるほど増えて行くけれども、じっとしていたらだんだん減ってゆく、ということになります。もしかすると私たちも、無意識のうちにもそういうことになりかけているのかもしれません。そして世の中で起こる様々な問題や事件の原因の多くは、この「愛の貧困」「愛の欠如」ということが根底にあるのではないかと思うのです。私たちはそうなるのではなくて、愛において貧しくなってゆくのではなくて、むしろ愛において自分自身も身の周りの人々も一緒に豊かになってゆくことが出来るような、そういう人生を歩みたいと思います。では、そのための道筋はどこにあるのでしょうか。色んな言い方が出来ると思いますけれども、本日は特に「神様の摂理を信じる」ということについてお話ししたいと思います。

はじめにお読みいたしました聖書の言葉は、旧約聖書の創世記の中にあるヨセフの物語の一部です。ヨセフは父ヤコブの12人の息子の下から2番目の弟でしたけれども、父ヤコブから偏り愛されていたために、兄たちから妬まれていました。そしてある日、兄たちが遠くで羊を飼っている時に、父に頼まれて様子を見に来た弟のヨセフは、兄たちによって捕えられて大きな穴に放り込まれて、最後はエジプトの奴隷として売り飛ばされてしまうのです。そして兄たちはヨセフの服に動物の血を付けて、まるでヨセフが野獣に襲われて死んでしまったかのように見せかけて、父をだましたのです。

一方、エジプトの奴隷として売られたヨセフはポティファルという主人に仕えまして、神様が共にいて下さってヨセフを祝福してくださいましたので、ヨセフのすることはすべてうまく行き、奴隷であるにもかかわらず、主人から家の財産の管理もすべて任されるようになります。しかしポティファルの妻の誘惑を断ったために、逆に無実の罪を着せられ、怒った主人によって監獄に入れられてしまいます。でも、獄の中でも神様はヨセフを祝福してくださいまして、ヨセフは看守長の信頼を得て、監獄の中のことをすべて任されるようになります。そしてヨセフは、神様から与えられた「夢の意味を解く」という不思議な賜物を用いることによって投獄された給仕役の長と料理役の長の夢の意味を解くということをきっかけに、やがてエジプトの王ファラオの夢を解いて、「7年間の豊作の後に起こる7年間の大飢饉」という事態を告げ知らせました。そしてそのことを通してヨセフはファラオからエジプトの総理大臣に任命され、多くの人の命を救うことになるのです。そして、穀物を買いに来た兄たちと再会し、いろんな出来事の後に兄たちが心から悔い改めていることを悟ったヨセフは、兄たちに自分が弟のヨセフであることを明かしたのです。

それが先ほど読みました言葉です。ヨセフは兄たちが自分にしたことを恨むのではなくて、むしろその苦難の体験の中にも人知を超えた神様の愛の御計画があって、たくさんの人々の命を救うために、むしろ神様が私をこのエジプトに先にお遣わしになったのだと告白することが出来ました。これが、神の摂理を信じるということです。

一見、「どうしてこんなひどいことが起こるのだろう。どうしてこんな不幸な目に合わなければならないのだろう」と思うような出来事も、決して偶然起こっているのではなくて、そのことも私たちの為に独り子をくださるほどの愛の神様の御支配の中で起こっているのであって、そこには人間の思いをはるかに超えた「神様の愛の御計画」があるのだということを信じる。それが神様の摂理を信じるということです。この確信に立つときに、やられたらやり返すという憎しみの連鎖を断ち切って、むしろそこから逆に、神様の愛の御支配が始まることを期待することが出来るようになる。愛によって自分自身も身の回りの人々も共に豊かになってゆくための、神様の愛の物語の舞台に立つことが出来るようになるのです。

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