神の驚くべき愛

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聖書の言葉

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

新約聖書 ヨハネによる福音書 3章16節

田村英典によるメッセージ

今朝は、この天地万物を造られた全知全能の生ける真の神様の、私たち人間に対する、いいえ、聖書に従ってより正確に言いますならば、私たち罪ある人間に対するその愛が、いかに驚くべきものかということで、私が改めて強く覚えさせられた体験を少しお話させていただきたいと思います。

もう数年前になります。ある年の12月の中頃、久し振りに大阪・梅田にある阪急グランドビルの上の方の階で、家内とお茶を飲み、その後、家内がお金を払っている間、私は一人で一番西側の窓の所へ行き、しばらく外を眺めていました。少し暗くなりかけた12月の夕暮れ時でした。はるか向うには、六甲の山並みが黒っぽいシルエットになって見え、空の白い雲がうっすらピンク色に染まっていました。目の前には、JR大阪駅の南に隣接するアクティ大阪の高いビルがよく見えました。

私はそのビルの上の方から下の方へ目を移しました。道路が見え、車の小さな姿がいっぱい見えました。そしてさらにもっと西の方に視線が移り、大阪中央郵便局とそのすぐ南の広い道路や交差点がよく見えました。夕暮れ時の少々黄色見を帯びたピンク色に染まった道路に、大勢の人の動く小さな陰が見え、それにクリスマス前のきれいなイルミネーションもたくさん見え、何かしら幻想的な感じでした。

私は信号機のあるその交差点を渡る人たちのいくつもの小さな黒い陰を、しばらく何とはなしに見ていました。早足の人もあれば、普通に歩いている人もいます。その中に、恐らく高齢の方でしょう、ゆっくり渡る人がいました。

ところが、信号が途中で黄色に変りました。私は思わず心の中で「あっ、危ない。早く、早く」と言っていました。すると、小さくてまるでおもちゃのように見える自動車の方も何台かおとなしく並び、タクシーもありましたが、とにかくその人が渡り終えるのを見届けてから、静かに動いたのでした。

私は「あぁ、良かった」と思いました。と共に、どんな顔をした人たちか全く分らないのですが、眼下の、それもかなり遠くの小さな小さな陰としてしか見えないその人たちのことが皆、とてもいとおしく思えました。そしてハッと気付きました。「あぁ、そうなのだ。神様もきっと天から小さな私たちをご覧になって、私たち人間のことを、僕が今感じたよりもっとずっといとおしく思っておられるのだろうなぁ」と。すると胸がジーンと熱くなりました。「あぁ、人間は争っていてはいけないのだ。もっともっと互いにいたわり合い、愛し合わなければいけないのだ」と改めて思いました。そして、とても優しい気持になり、神様の愛が改めて分ったように思えました。幸せな気分でした。

ところがその後、家内と一緒にエレベーターで1階へ降り、ドアが開いて大勢の人ごみの中に立った時、私は全く違う感覚にとらえられました。自分でも驚きました。というのは、ドアが開いたその目の前には、一刻も早くエレベーターに乗り込みたいという感じのとても険しい顔の人もいますし、苛々(いらいら)した顔、冷たくてずるそうな表情の人もいます。少し歩くと、攻撃的でイヤな感じの人、お酒がかなり入った赤い顔の人、乱暴で粗暴な感じの人もいました。いとおしいとは、とても思えませんでした。正直言って、私は目の前にいる人たちについてもそうですが、自分自身にも少々がっかりしました。そして、「あれ、さっきのあの僕の思いは何だったのだろう」と思いました。遠くの上の方から見た、顔の見えない一人一人の小さな人間のことはいとおしく思えても、目の前に立ち、動いている等身大の生身の人間は全然違う!

しかし、私は後で改めて「そうか」と思いました。「そうなんだ。天におられる父なる神様は、地上にいるまさにこんな私たち人間の真っただ中にご自分の独り子(ひとりご)イエスをお送りになり、イエスはこの世の現実の真っただ中を歩まれ、罪深く利己的な面を一杯持った罪人であるこの等身大の私たち人間に丸ごと向き合い、なお愛して下さったのだ。しかも、私たちを罪とその結果である永遠の死から救うために、イエス・キリストは何と御自分から進んで私たちの罪を全部背負われ、あの十字架でご自分の尊い命を献(ささ)げて下さったのだ。あぁ、何という神様の愛なのだろう」と、思いました。そして、まるでガーンと頭を殴られたような衝撃を受けたのでした。忘れられない思い出でございます。

先ほどお読みしましたヨハネによる福音書3:16をもう一度をお読み致します。「神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」

遠くのよく知らない人間を愛することは、たやすい。しかし、身近な顔形も性格も色々なこともよく分っている等身大の生身の人間を愛することは、どんなに難しいか。しかし、神が愛して下さっているのは、まさにそのような私たち人間なのです。何という神の愛でしょうか。この神の愛を私たちが心の底から覚えられる時、きっと私たちの中で何かが変り始めると思います。ご一緒に、そのようなかけがえのない神様の愛を日毎に覚えつつ、歩むことを許されたいと思います。

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