すべては何のために?

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聖書の言葉

初めに、神は天地を創造された。

旧約聖書 創世記 1章1節

吉岡契典によるメッセージ

これが聖書の最初の言葉です。「すべては何のために」というタイトルをつけましたが、すべてとは、文字通りのすべてです。私と、あなたと、私たちの居るこの世界は、そして天は、どこから来たのか?そして、何のために今あるのか?これに聖書は答えてくれます。

「初めに、神は天地を創造された。」まず、「初めに」という言葉で、聖書は語り出されています。世界には始まりがある。そして初めがあるということは、終わりがあるということです。終わりがあると思うから今日も仕事に行ける。無限に続く道、無限に続く夜はない。始まりと終わりがあることは大事なことだと思います。

次に、「創造された」と言われていることも大事です。創造するとは、新しいものを何もないところから、新たに創り出すことです。それは熟慮を必要とする、骨の折れることです。さらに、それは、しっかりとした目的意識を持たずにはできないことです。それは、何かの流れで、なんとなく、ということとは全く違います。

「初めに、神は天地を創造された。」何もないところから、新しいものを、神様は一から創造された。これは、意図的なことであり、神様には、明確な狙いがあります。それによってできたこの天地、そしてここには、これを創造しなければいけないだけの意味があります。

もしこの世界が創造されなかったのだとしたら、どうなっていたでしょうか?勝手にあった、偶然できた。どこが始まりなのか、どこに行き着くのかも分からない。私とあなたと、この世界が、もしそういう世界だったとしたら、「すべては何のために?」という問いへの答えは、無しということになります。すべては何のためなのか分かりませんので、せいぜい考えてみてください、ということになってしまう。けれども、始まりも終わりもなく、創造されたということもなく、すべては偶然としか言えないということだったら、その偶然についていくら考えても、偶然は偶然でしかありませんので、そこに目的や意味はありません。しかし私たちは、そういう、何か背筋に冷たさを感じるような、誰の血も通っていないような偶然に取り巻かれて生きているのではありません。

「初めに、神は天地を創造された。」なぜ、神様はこの天地を創造されたのでしょうか?今朝ここで私たちは、神様の気持ちを考えてみたいと思います。神様はどんな気持ちで、この世界を創られたのか?

大事な前提として目を留めたいのは、神様は、世界が創造される前にも、既に神様としておられて、そして神であるわけですから、その存在は完全で、全く満ち足りておられたたということです。

ましてやそこには、神様に、お前はこの世界を創造しろと命令するような、上司もいませんでしたし、何日の何時までに創造を仕上げなさい、という締切りや納期もありませんでした。神様は、何をしようがまったくの自由でした。この世界の創造は、神様にとって、誰かから課せられた労働ではありません。しかしそこで、別に誰に頼まれたわけでもないのに、神様は世界を創造した。

戦後に活躍した、ファン・ルーラーというオランダの神学者は、この神様による世界の創造のことを指して、「創造は神の贅沢である。」と言いました。聞いたこともないような、とても面白い表現です。がしかし、この言葉は、創造の真実をついていると思います。誰にも強いられないで、誰に命じられることもなく、自分の好きだと思うことを、自由にすること、私たちにとってもそれは、余暇の贅沢であり、もっと言えば、楽しい遊びです。

神様は世界を創造する際、初めに、「光あれ」と言われました。神様は霊的な存在で、厳密には、この私たちのような顔は持っておられませんが、もし神様に顔があったなら、この時の表情はいかばかりかと思うのです。神様が、創造の始めに光をお造りになったその時、その光に照らされた神様の表情も、決して曇っていたのではなく、輝いていたのではないかと思うのです。

神様は、自由の中で、そしてそこにこそある大きな喜びと、情熱をもって、この天地を創造してくださったのではないかと思うのです。何か強制されたうえでやる仕事というのは、時に苦しみを伴いますが、そういうものではない、全く自由な遊びには、そこには純粋に、面白い、楽しい、という喜びが伴うのです。

聖書が、その初めに語っていることは、種の起源がどうの、進化論がどうのということではありません。神様は喜びと共に、この私たち人間とこの世界を創造された。だから私たちは、このことを喜んでいい。この人生と命を楽しんでいい。神様は、楽しみながら世界を創造し、どうだ素晴らしいだろう、これを存分に楽しむがよいと、素晴らしいこの世界の中に、この私たちを置いてくださったのです。私たちは、この世界と人生を思いっ切り楽しみ尽くし、喜び尽くすべきなのです。それは能天気になれということではなくて、心の深いところに喜びを抱きながら、素晴らしい存在として創られたこの自分を喜んで、100%自分らしく、安心してのびのびと生きてよいということです。そしてここにこそ、人間本来の生き方がある。ここにこそ神に造られた人間として生きる目的と、醍醐味がある。この自分とこの世界は、呪われた世界、悲しむべき世界ではない、心からの喜びに値する世界なのです。

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