聖書の言葉
わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。
新約聖書 ヨハネの手紙一 4章10~11節
弓矢健児によるメッセージ
先週、わたしたちはクリスマスを過ごしました。神様はわたしたちを愛して、救い主イエス・キリストをプレゼントしてくださいました。クリスマスは、このことを、わたしたちが心から感謝し、喜ぶ時です。
わたしたちはそもそも、そのような恵みを受けるのに相応しい者ではありません。しかし、神様はわたしたち人間が何かができるから、イエス・キリストを贈ってくださったのではありません。わたしたちが神様の目に適うような実績を上げたから、ご褒美としてイエス・キリストを与えてくださったのでもありません。神様は、弱く罪深いわたしたちを、そのまま愛してくださり、わたしたちに救い主を与えてくださったのです。神様はひとえに、その愛のゆえに、キリストを与えてくださったのです。
けれども、わたしたちはもう一つ大切なことを忘れてはなりません。それは、神様の愛は決して一方通行の愛ではないということです。そもそも、神様がわたしたちを愛し、わたしたちにキリストを与えてくださったのは何のためでしょうか。それは、わたしたちもまた、愛する者となるためです。わたしたちもまた神様を愛し、隣人を愛し、互いに愛し合って生きるようになるためです。神様は、この世界がそのような愛と平和に満ちあふれた世界になることを望んでおられます。そもそも、わたしたち人間はそのために神様によって造られました。
先週、クリスマスプレゼントのお話をしました。わたしたちに最初にクリスマスプレゼントを贈ってくださったのは神様です。しかし、それ以後、わたしたちも、お互いにプレゼントを交換するようになりました。どうしてでしょうか。それは神様の愛を与えられた者は、今度はお互いに愛し合う者へと導かれて行くからです。
クリスマスにプレゼント贈ったり、もらったりすることの意味は、神様の愛によって、わたしたちも互いに愛し合っている、ということを表しているのです。
神様の愛を与えられ、キリストをプレゼントされた人には、キリストご自身が、その人の内にしっかりと住んでくださいます。わたしたちがどこにいても、どんな時も、キリストは共にいて、わたしたちの心を導き、わたしたちを愛する者へと変えていてくださるのです。
皆さんの中には、イエス・キリストを信じるだけで、本当にそうなるのだろうかと、思う方もおられるかもしれません。わたしたちは罪人です。聖書も、「正しい者はいない。一人もいない」(ローマ3:10)と教えています。わたしたちは日々、思いと言葉と行いによって神様に対しても、隣人に対しても罪を犯しています。そんな自分が、神様がわたしたちを愛してくださったように、隣人を愛することができるのだろうか。そんな疑問を持たれるかもしれません。
もちろん、わたしたちには多くの罪や弱さがあります。イエス・キリストを信じたら、自分の中からすべての罪が無くなってしまう、ということではありません。信じていても、罪を犯してしまう、失敗してしまう、その繰り返しです。しかし、それでもキリストが共にいてくださるからこそ、わたしたちは罪を悔い改めることができます。日々新たな思いで、神様と隣人に仕えて行くことができます。神様の愛であるキリストを受け入れた者は、日々、キリストに似た者に変えられていくのです。大切なことは、どんな時もキリストが共にいてくださる、神の愛が共にある、このことを忘れないでいることです。
わたしたちはプレゼントをもらって、その時は、喜んで手にとって見るけれど、その内どこかに仕舞い込んで忘れてしまう、ということはないでしょうか。同様に、神様からのプレゼントであるキリストをいただいたにもかかわらず、毎日の忙しさや、思い煩いに心を奪われて、キリストが共にいてくださるということを忘れてしまっていることがないでしょうか。
キリストは決して隠れてしまわれたのでも、どこかに行ってしまわれたのでもありません。ちゃんと、あなたの中におられます。どうか、キリストが共にいてくださることを忘れないでください。キリストが共にあって、あなたの心を導いてくださっていること、あなたの愛を導いてくださっていることを忘れないでください。
この世には、神様の愛を待っている方々がたくさんいます。争いの中で、差別の中で、貧しさの中で、悲しみの中で、神様の愛を必要としている方がたくさんいます。神様から愛を与えられたわたしたちには、それらの方々に、神様の愛を届けるという大切な使命が与えられています。自分にはそんなことはとても無理だ、そんな風に思わないでください。神様の愛には、わたしたちを愛する者へと変える神の力があります。新しい年も、この神様の愛によって生かされたいと思います。