弱さをきずなに

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聖書の言葉

それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。

新約聖書 コリントの信徒への手紙一 12章22節

吉田実によるメッセージ

今回は、北海道の浦川という町にあります「べてるの家」という共同体のことを2回続けてご紹介したいと願っています。

「べてるの家」とは、1984年に創設された精神障がいなどを抱えた方々のための地域活動拠点でありまして、小規模授産施設やグループホームなどを運営する「社会福祉法人浦河べてるの家」と、様々なグッズや日高昆布などの販売を行う有限会社「福祉ショップべてる」などの活動の総体です。現在100名近い当事者の方々が共に暮らしていらっしゃるそうですけれども、「べてるの家」はそこで暮らす当事者の方々にとりましては生活共同体であり、働く場としての労働共同体であり、また同時にお互いの病を配慮し合うケアの共同体でもあるのです。

1979年にクリスチャンのソーシャルワーカーである向谷地生良さんが、古い教会の会堂で、浦河赤十字病院の精神科を退院した数名の方々と共同生活を始めたところから「べてるの家」は始まったそうです。当時は精神科から退院した方々の中には仕事にもつけず、住む場所にも困っている人たちが少なくなかったそうです。そういう方々を古い教会の建物に招いて、共同生活を始めたのです。そして本当に様々な苦労を積み重ねながら、向谷地さん御自身もいろんな事情で深い絶望感を味わう中で、精神科から退院して来られる方々の気持ちが少しずつ理解できるようになったそうです。そして、患者を高みから指導してカウンセリングを行う存在ではなくて、共に悩み苦労する一人の人間として彼らに向かい合い、同じ目線で付き合うという基本姿勢を身に着けて行かれたそうです。そして、人間関係に傷ついて、自分を見失って、関係を閉ざしてきた人たちには、それが回復するための豊かな関係が必要なのだという確信に至りまして、お互いの苦労を語り合うということを大切にした実践を始めたのだそうです。

「べてるの家」に集う人々の多くが統合失調症などの患者であり、幻聴や妄想に悩まされている人が少なくありません。そしてそういう症状はよくないもの、なくすべきものとみなされ、それを消すために強い薬が大量に処方されることが少なくなかったそうですが、「べてるの家」ではそういう無理な治療はやめまして、精神の病による幻聴や妄想などの症状を忌まわしいもの、恥ずかしいものとは思わないで、自分自身の体験としてむしろ情報公開をして語り合い、そういう体験を皆で共有する中で、自分の体験が誰か他の人に示唆を与え、自分の苦労がまた誰かを励まし勇気を与えるということに目が開かれて行ったのです。そして各自が自分の病に向き合い、その症状を研究して発表するという「幻聴、妄想大会」という大会が開かれるようになりまして、素晴らしい研究発表をした人は「あなたは良い苦労をしました」と表彰されるようになるのです。そういう実践の中で、多くの当事者たちが弱さをかかえて自分一人で悩むのではなくて、むしろ弱さをきずなとしてつながって、弱さを持ち寄ってその体験を共有することによって、幻聴や妄想の体験さえもその人の特徴となり、文化となり、豊かなコミュニケーションを造り上げるための大事な世界となるのだという確信を持つにいたるのです。

痛みや悲しみを抱えていらっしゃる人々、大きな苦難を経験された人々。そういう人々はそういう体験をした人にしか語ることが出来ない言葉があり、そういう人を通してはじめて証される真理があると私は思います。そういう意味では、大きな苦労をしてきた人々には特別な賜物が与えられていると言えるでしょう。「べてるの家」は、まさにそういう苦労の中から生まれた賜物を皆が共有し合い、生かし合っている共同体であると言えます。そしてそれはまさに、キリストの教会という共同体のあるべき姿なのだと私は思います。パウロという人は、「教会はキリストを頭とする体である」譬えました。体には様々な部分があり、それらが皆必要であるように、頭なるキリストにつながるお一人お一人は、それぞれなくてはならない掛け替えのない体の一部なのです。そして特にパウロは「体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです」と教えました。その弱い部分を他の部分が支えることによって、かえって体全体が益を受けるのです。そういう意味では、キリストの教会の中では、弱さを抱える人、大きな苦労を体験している人こそ、特別な賜物が与えられている人なのです。

精神科医としてアウシュビッツでの体験を記した『夜と霧』の著者であるヴィクトール・フランクルは、講演の中でこう述べています。「『私は人生にまだ何を期待できるか』と問うことではありません。いまではもう『人生は私に何を期待しているか』と問うだけです。人生のどのような仕事が私を待っているかと問うだけなのです。」こう述べています。様々な苦労をし、弱さを覚えている人には、その人にしかできないことがあるのです。人生は、いえ人の人生を導かれる神様は、弱いままのあなたに期待しておられる。ありのままのあなたを通して始めようとしておられることがある。「べてるの家」の人々はこのことを、自分たちの存在をかけて教えてくれているのではないか。私にはそう思えるのです。

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