わたしの魂はただ神に向かう

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聖書の言葉

わたしの魂は沈黙して、ただ神に向かう。神にわたしの救いはある。

旧約聖書 詩編 62編2節

宮﨑契一によるメッセージ

多分この放送が流れている頃には、暑さも一段落して、少し過ごしやすくなっているのではないかと思います。

ただ、季節が一段落したとしても、季節に限らずわたしたちが置かれている生活の現実は、とても厳しいと言えるものではないでしょうか。わたしたちは、自分で一人では生きていくことはできません。周りの人たちからいろいろと助けられたり、そういう人間同士の関わりの中で生きていくのが、わたしたちの生活なのだと思います。わたし自身も、毎日の生活をする中で、近所の人たちからいろいろと助けてもらったり、手伝ってもらったり、親しく声をかけてもらうこと、があります。その時には、本当に近所づきあいはありがたいなあ、人は暖かいなあ、こういうふうに思います。

ただ、人間同士の関係は、必ずしもいい面だけではありません。むしろ、わたしたちは、人間関係の暖かさというよりも、その難しさと複雑さ、を思い知らされることのほうが多いのではないでしょうか。わたしたちは、多くの人たちとの関わりの中で、毎日の生活をしています。そういう中で、人間関係で行き詰まりを覚えたり、疲れ果てたりすることもあると思うのです。

わたしたちの精神、またわたしたちの心、本当に弱いなあと思うことがあります。もろいなあと思うのです。例えば、日常生活のほんの些細な出来事で心が大きく揺れ動くということがあると思います。動揺することがあります。またこれから先のことをいろいろと考えた時に、漠然とした不安を持つことも多いと思います。そう考えると、わたしたちの何気ない毎日の生活の中にも、そこにはいろいろな試練があったり、自分にとっての危険さえあると言えるものではないかと思うのです。

今、朝日新聞で夏目漱石の「こころ」という有名な小説が連載されています。これは、当時の連載から今年でちょうど100年ということで、今年再び連載されているものです。わたしも毎日楽しみに読んでいるのですけれども、この小説には、まさに人のこころが日常生活の中でどれほど揺れ動くものであるのか、また心にどれほどの醜さがあるのか、そのこころのあり方がありのままに書かれています。

この小説には、「先生」という名前の登場人物が出てきます。この先生がまだ学生であった時、彼は同じ場所で下宿をしていた一人の友人との友情のこと、またその下宿先にいた一人の女性との恋愛、この友情と恋愛の狭間で非常に心の苦しみを覚えるのです。友情や恋愛、いずれもわたしたちにとっては心が大きく揺れ動くような出来事だと思います。

その中で先生は、自分の心が安心をしたかと思えば、次にはまた相手への疑いの心が出てくる。落ち着いたかと思えば、また落ち着かない思いにもなる。本当に自分自身の心の醜さと弱さに向き合わされます。この先生は、最期には自らの命を絶つ、ということを決意します。本当に私たちの心は揺れることが多いですし、またいろいろな危険に日々向き合わされていると言えるものではないでしょうか。

その中で、今朝は詩編の言葉をお読みしました。「わたしの魂は沈黙して、ただ神に向かう。神にわたしの救いはある。」という言葉です。ここでは、わたしの魂を沈黙させる、ということが言われています。

揺れ動くことの多いわたしたちの魂、またその心を沈黙させる(静かにする)ことは、わたしたちにとって本当に必要なことだと思うのです。どのような時も、わたしの心が静かであることができれば、それはどれほどわたしたちにとって平安なことだろうと思うのです。

聖書がわたしたちに語り掛けていることは、わたしたちがどのような人生の困難や試練に直面することがあっても、わたしたちには自分の魂を、その全てを向けることのできる神がおられる、ということです。それは、この聖書の神にわたしたちの救いがあるからです。だから、わたしたちは自分の全てをこの方にお任せして、生きることができるのです。

この聖書の詩編に出てくる人は、とても大きな人生の困難に置かれていた人でした。周りの人たちからの攻撃を受けて、生きることの難しさの中に置かれていました。でも、この神がわたしの救いだから、わたしはまずこの方に自分の心を向けると言うのです。そして、神様に全てをお任せして、自分は沈黙をします。ひたすら、神に心を向ける静けさ、があります。そのように神に向き合うことが、わたしたちにとっての幸いだと聖書は語るのです。

毎日の生活で動揺することの多いわたしたちです。けれども、そのわたしたちがただひたすら神に心を向けて生きるために、神様は、わたしたちにイエス・キリストという救い主を与えてくださいました。このキリストは、わたしたちのために、御自分がひたすら神に魂を向けながら、沈黙をされた方です。そして、罪人の救いのために御自分が十字架にお掛かりくださいました。わたしたちのために、キリストがしてくださった十字架への歩みは沈黙の歩みだったのです。

このイエス・キリストを信じ受け取っていただくことを願っています。そして、本当の魂の静けさと平安の中で生きる幸いをご一緒に味わいたいと思うのです。

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