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聖書の言葉

カインのための復讐が七倍なら/レメクのためには七十七倍。

旧約聖書 創世記 4章24節

金原義信によるメッセージ

今日は、創世記4章にありますカインとアベルの物語とその続きのところからお話します。

弟アベルを殺してしまったカイン、その罪を追及された彼の言葉が、創世記4章13-14節に記されます。途中からお読みします。「わたしが御顔から隠されて、地上をさまよい、さすらう者となってしまえば、わたしに出会う者はだれであれ、わたしを殺すでしょう」。自分は周囲の人から殺されると大変おびえています。これに対して神様は、カインに出会う者がだれも彼を撃つことがないようにしるしを付けて下さいました。そのとき神様は、「いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ7倍の復讐を受けるであろう」とおっしゃいました。カインへの憐れみを神様はこのような言葉で表現されたのです。けれども結局カインは神様の前を去っていきました。彼は本当に自分の罪に向き合ったのではなく、ただ自分はどうなるかといってごねただけだったのです。あとは自分でやっていくつもりだったのでしょう。神様のもとに留まってその憐れみにすがることをしませんでした。

さて、さきほどのカインの恐れですが、この感覚は私たちも知っているのではないでしょうか。自分に出会う者が自分に危害を加えるのではないかという恐怖です。周囲の人たちの目、言葉がこわい、いつ自分の知らないところで悪口・誹謗中傷を言われているか分からない社会、あちらこちらに防犯カメラが必要な社会です。どこへ行ってもさすらい、安心出来ない、不安がつきまとう社会がここに描かれています。弟を殺し神様の前を去ったカインの心に表されているように、神様と、隣人との愛に破れた人間が造りだす社会の姿が描かれているのです。

さらにこの後、カインの子孫のことが描かれていきます。その子孫たちは産業や文化の担い手となりますが、そのクライマックスはレメクという人物です。「レメク」は「強い者、王者」、という意味の言葉です。そして彼の言葉、歌といってよい言葉が記されます。そこにはこうあります。「わたしは傷の報いに男を殺し打ち傷の報いに若者を殺す。カインのための復讐が7倍ならば、レメクのためには77倍」。最初の傷は重傷、男は一人前の人、次の打ち傷は軽い傷、若者はこどもか少年を表します。つまり自分に重傷を負わせる大人はもちろん軽い傷しか負わせない子どもでも、情け容赦なく殺すといっている。そして先ほどのカインへの神様の言葉をもじって自分に危害を加えるものには何倍にもして復讐するといっているのです。なぜこういえるのでしょうか。彼の子どもたちの中に「青銅や鉄でさまざまな道具を作る者」がいます。つまり武器が出来るのです。技術が進み、力をつけ、武器も作れる、それですごんで周囲を圧倒して黙らせる。少しでも危害を加えようものなら徹底的に報復する。もうそこにはカインが恐れたような不安は記されません。力で相手を粉砕すればよいのです。しかしそこには報復が新たな憎しみを生み、さらなる報復がなされ、終ることがない恐ろしい世界がつくられていきます。ここにカインの末裔、その行き着くところがあるのです。個人でも、国際社会でも、まさに現代の世界に響いている力と報復の歌がここに記されているのです。

聖書はこのような人間の世界を鋭く描きだしながら、それがどこから来たのかを明らかにしています。それはカインにさかのぼることが出来ます。彼は、神様が自分を愛しておられることを信じませんでした。神様の赦しとあわれみにすがることしませんでした。そして神様の前を去りました。神様の支えを自分から捨てたのです。その行き着く先が、レメクだったのです。だからもう一度私達を愛しておられる神様の所に帰るということこそが、レメクの歌が響く世界から救われる道なのです。

カインの子孫の記述はレメクの歌で終ります。その後今度はあらたな系図が記されます。その中にもレメクという人が出て来ます。カインの子孫のレメクと名前は同じですが別人です。こちらのレメクは苦しみ悲しみの多い人間の歩みにおいて、神のさばきによる人間の悲惨に気付き、慰めを求めました。皆さん、報復のレメクに本当の幸せがあるでしょうか。むしろ、人間の力の限界・空しさに気付き、神様に慰めと希望を求め、神様と共に生きることこそ本当の幸せではなないでしょうか。この神様の所には朽ちることのない支えがあります。どんな時にも変わらない神の愛があります。赦しと和解に生きる道があります。これからも続けて聖書の言葉に聞き、神様の愛を、御一緒に受け止めたいと心から願っています。

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