御翼のもとに逃れて

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聖書の言葉

どうか、主があなたの行いに豊かに報いてくださるように。イスラエルの神、主がその御翼のもとに逃れて来たあなたに十分に報いてくださるように。

旧約聖書 ルツ記 2章12節

石原知弘によるメッセージ

私は2013年まで五年間、勉強のためオランダに暮らしていました。オランダという国、どんな国かご存じでしょうか。ヨーロッパの小さな国ですが、風車やチューリップを思い浮かべられる方もあると思いますし、レンブラントやゴッホといった有名な画家の名前をご存じの方も多いと思います。

小さいながらいろいろな顔を持つ豊かな国ですが、そのオランダの一つの特色は、昔から外国人を受け入れることに寛容であるということです。特に、亡命者や移民、つまり、迫害や困難を逃れてきた人たちを積極的に受け入れてきました。アンネ・フランクというユダヤ人の少女の名前をご存じの方も多いと思いますが、第二次世界大戦中にも、ナチスの迫害を逃れて多くのユダヤ人がオランダにやって来ました。オランダには、そうした人々を受け入れてきた伝統があるのです。

最近では、社会情勢の変化もあって、オランダの移民政策も少し厳しくなってきているところもあるようですが、しかし、それでも、逃れて来た人たちの受け皿となるという伝統は今なお息づいているように思います。私はオランダに行って最初の年は語学学校に通っていたのですが、そこには留学生だけでなく、アフガニスタンやイラクといった国から亡命してきて、オランダで生きていくために勉強している人たちも多くいました。

そのような、外国人や逃がれてきた人たちを受け入れる精神というものは、聖書の中にその一つの起源と伝統があります。旧約聖書のレビ記というところに、イスラエルの人々に対する次のような教えがあります。「寄留者があなたの土地に共に住んでいるなら、彼を虐げてはならない。あなたたちのもとに寄留する者をあなたたちのうちの土地に生まれた者同様に扱い、自分自身のように愛しなさい」。これは、外国から来た人たちを、よそ者扱いしないで、自分たちと同じように大切にしなさいという隣人愛についての教えです。

そして、旧約聖書の中に、この教えによって救われた人の実例を見ることができます。その一つが、ルツ記という物語に出てくるルツという女性です。

ルツは、モアブという国の人でしたが、夫の故郷であるイスラエルにやって来ることになりました。夫が亡くなり、一緒に暮らしていた夫の母親が故郷イスラエルに帰ることになったのですが、それにルツもついて行くことにしたのです。そこには、姑のことを慕うルツという人の心の優しさを見ることができるのですが、特に生活の当てがあったわけではなく、見知らぬ国へ移住していくということには不安もあったはずです。しかし、ルツはイスラエルへと向かいます。そして、そこで、神の恵みを経験することになるのでした。

その恵みはまず、ルツが畑で落ち穂を拾うことができたということに現されました。ルツにはもちろん自分の畑などなかったわけですが、刈り入れをする農夫たちの後について行って、そこで落ち穂を拾うことができたのです。それは、先ほどもご紹介したレビ記に、次のような教えがあったからです。「穀物を収穫するときは、畑の隅まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。ぶどうも、摘み尽くしてはならない。ぶどう畑の落ちた実を拾い集めてはならない。これらは貧しい者や寄留者のための残しておかねばならない」。イスラエルでは、収穫の後に残ったものは、貧しい人や、外国から来て自分の土地を持たない人たちのために残しておかなければならなかったのです。ルツは、その神の律法によって守られたのでした。

そして、もう一つ、ルツに現された恵みは、ボアズという人との出会いでした。ルツが落ち穂を拾ったのはボアズという人の畑で、このボアズが特にルツのことを心にかけ、助けてくれたのでした。確かに、どれだけすばらしい神の律法があっても、それをきちんと守る人がいなければ、困っている人たちを助けることはできません。ルツにとって、このボアズとの出会いは大きな恵みでした。

ルツはボアズに対して、「よそ者のわたしにこれほど目をかけてくださるとは」と恐縮するのですが、それに対してボアズは言いました。「イスラエルの神、主がその御翼のもとに逃れて来たあなたに十分に報いてくださるように」。姑を慕い、イスラエルにやって来たルツは、実に神ご自身のところに逃れて来たのでした。そして、ルツを助けたボアズの優しさも、この神の恵みを信じる信仰から来るものだったのです。

今朝、お伝えしたいことは、ルツがここで経験したことを、今、私たちは教会という場所で経験することができるということです。教会という場所、それこそ未知の世界と思っておられる方もあるかもしれませんが、教会に行くということは、他でもない神のもとに逃れ、神のもとに憩い、神のもとに自分の本当の居場所を見出すということなのです。そして、ルツはボアズと出会いましたが、私たちは教会でイエス・キリストという救い主と出会うことができます。キリストは、神の御翼のもとで、私たちをいつも守ってくださるお方です。

私も、教会に通い始めた若い日にこの神の恵みと守りを経験しましたが、クリスチャンとなり、牧師となってからも、新たにそのことを経験し続けています。オランダでも、まさに外国人として暮らしながら、あらためて教会という場所は神の御翼であることを実感しました。私はオランダの地元の教会と、オランダに住む日本の人たちの教会の両方に出席していたのですが、そのどちらでも多くの助けを得ました。生活のためのサポートも受けましたが、何より、国境や言葉の壁を越えて、自分の本当の居場所がここにあるという平安をもらいました。

昨年から日本に戻り、牧師としての働きを再開していますが、私たちの教会もそのような神の御翼になりたいと願っています。どうか多くの方が、この神の御翼のもとに逃れて、そこで、まことの平安を得ることができますように。

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