真の愛を生きたい

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聖書の言葉

食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることはあなたがご存じです。と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。(中略)三度目にイエスは言われた「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロはイエスが三度目も「私を愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。」

新約聖書 ヨハネによる福音書 21章15~17節

城下忠司によるメッセージ

私はラジオ放送で担当した何回かにおいて、聖書を通して、私たちに何時も差し出されている神さまの愛にこたえて生きたい、という思いのお話をしてきました。でもそれは、愛とは何か、という言葉ばかり語り、愛そのもの、本当の愛とはどういうものであるかを語ってこなかったという思いを持ち続けてきました。私は最近病を得て、多くの方々からの励ましの言葉や手紙をとおして、また、訪問をいただき、本当の愛の素晴らしさを実感しています。今まで、私の語ってきた愛とは何だったのか、私は本当に隣人(となりびと)を愛してきたのだろうか、という何か切ない悲しみのようなもので、心が揺れていることを覚えています。

さて、私の大すきなキリスト者の詩人に、八木重吉さんという方がいます。彼の「みんなもよびな。」という詩のなかで次のような一節があります。

「きりすとわれにありと思うはやすいが

われみずからきりすとにありと

ほのかにてもかんずるまでのとおかりしみちよ」という一節です。

この短い文章は最初に読みました聖書の言葉とも大きく関わる内容を含んでいます。そして、この文章が今の私の心に響き続けているのを感じています。実は、その一文を強く覚えるようになったのは、一つは福音歌手の福沢路得子さんの「ヨハネの子シモン」という歌をよく聞くことがあったからです。そして、また、初めにお読みしました御言葉から、真の愛について教えられたからです。

ここでこの歌を少し聴いてみたいと思います。

♪音楽

15節以下に出て来るペトロというイエスさまの弟子は、かつてイエスさまが裁判にかけられ、十字架の死刑につかれようとしていたとき「あなたはイエスの仲間でしょう」と言われて、3度も私はイエスさまを知らない、と否定しました。ペトロはそのすぐ後で、後悔し、涙を流したことがありました。3度否定したことのあるペトロにイエスさまは3度も愛するか、愛するか、他の人より私を愛するかと尋ねられました。ペトロは悲しくなって言ったのです。「主よ、あなたは何もかもご存じです、わたしがあなたを愛していることをあなたは、よく知っておられます」と。

ペトロはイエスさまから、愛は自分を捨てて、「わたしの小羊を飼うこと」「羊の世話をすること」「迷える羊を養うこと」だと3度も念を押されることによって、イエス様が十字架の上で自らの命と引き換えに、ペトロの命を死から天国の命へと変えてくださったこと、イエスさまの本当の愛を知りました。彼はこの時、イエスさまの内にしっかりとどまることができたのです。ペトロは自分が特別に選ばれて、迷える人々を探し出して養う人になり、イエスさまの愛を伝える生涯を送りました。

イエスさまの弟子ペトロだから、また、特別に選ばれた人たちだけが、迷える羊を探し出して養うのだ、ということではないでしょう。イエスさまを愛する人は誰でも、喜びを語り、イエスさまの愛を伝えるのです。

私は、神さまが私を本当に愛してくださっているということは、聖書の多くの御言葉をとおして教えられ信じてきました。もう十分知っている、と思っていました。それは大きな間違いでした。八木重吉さんが歌ったように「キリストわれにあり」と思うのは易しいのですが、しかし、私がキリストにあるとほのかにても感じるまでの道は本当に遠い道だと思えるようになりました。私は信仰生活の中で、キリストが私を愛してくれていることを実感することはできたように思いますけれど、私がキリストの内に存在すると、ほのかにても実感することがあっただろうかと考えるのです。信仰は愛であると言い替えることができるでしょう。ヤコブというイエスさまの弟子の一人は、愛の「行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです」(ヤコブの手紙2章17節)と、信仰は、愛の行いを伴うものである、と語っています。

私はキリストを信じる者として歩む道は、私がキリストの内にあると実感するとき、真の愛に生きることができると思うのです。愛に生きる道は、神さまと人々のために自分を犠牲にするという道であります。キリストに結ばれて生きることのなかに、生死をこえた、愛の生き方があると思うのです。いつも迷いの中にあっても、聖書の御言葉に耳を傾けるひと時ひと時の中に、ほのかにても私がキリストの内にあることを感じながら、真の愛に生きたいと祈り願っています。

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