歳を重ねて

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聖書の言葉

主はわたしを全ての悪い業から助け出し、天にある御自分の国へ救い入れてくださいます。主に栄光が世々限りなくありますように、アーメン。

新約聖書 テモテへの手紙二 4章18節

田村英典によるメッセージ

昨年の暮れに初孫が生れたからというわけではありませんが、今朝は「歳を重ねて」という題でお話させていただきたいと思います。

1月のことです。テレビはいわゆる新成人のことをたくさん取り上げていました。それを見ていて、私は「若いって素晴らしいな。しっかり生きてね」と心から応援しました。

確かに、若さには豊かな可能性があり、伸び伸びとした感性があります。2年半位前、朝日新聞の天声人語の欄に、富山在住で、その当時、まだ13歳と10歳の松田梨子さん、わこさん姉妹の、瑞々しい歌が紹介されていました。お姉さんの梨子さんは、妹のわこさんについてこう歌っていました。「妹の、笑顔の寝顔、かわいくて、歯磨き中の、パパまで呼んだ。」妹のわこさんは、お姉さんの梨子さんについて、こう歌っています。「玄関で、クルッと回ってスカートを、ふわっとさせて、ねえちゃんお出かけ。」

私は何かしら嬉しくなり、すぐこれを家内に見せ、若さに神様が与えておられる恵みの豊かさを改めて覚えました。

では、歳を取ることはどうなのでしょう。ただ老いの坂を転げ落ちていくようなものでしょうか。違うと思います。ご自分の独り子イエス・キリストを、救い主として与えて下さった程に私たちを愛しておられる天の父なる神様は、私たちが歳を重ねることにも恵みを与えておられます。それは、若い時とは一味も二味も違う豊かさと深みのあるものです。そのことをパウロの内に教えられます。

皇帝ネロの下で殉教する前に、使徒パウロは、先程その一部をお読みしました手紙を、弟子のテモテに宛てて書きました。この時、彼は60歳代で、当時としては結構な年齢になっていました。そういう歳を重ねたパウロの姿を念頭に置いて読みますと、興味深いものがあるように思います。

その一つは穏やかさです。先程お読みしました少し前の聖書箇所で、パウロはこんなことを書いています。「銅細工人アレクサンドロが私をひどく苦しめました。…あなたも彼には用心しなさい。彼は私たちの語ることに激しく反対したからです。…私の最初の弁明の時には、誰も助けてくれず、皆私を見捨てました。」

辛く悲しかったと思います。しかし、怨み事を言うのではなく、アレクサンドロについては、実は「主は、その仕業に応じて彼にお報いになります」と言って、神に任せます。パウロを助けなかった人たちについても、「彼らにその責めが負わされませんように」と書いています。実に穏やかです。

家柄、教養、道徳性、宗教的熱心さにおいても、エリート中のエリートであったユダヤ教徒時代の若い時のパウロは、クリスチャンと教会を何のためらいもなく迫害し、自信に満ちた激しい人物でした。

ところが、晩年は違います。イエス・キリストへの信仰が深まるにつれ、自分の弱さや欠けを自覚し、他の人についても注意はしますが、天の神様に委ね、愛と赦しをもって祈る穏やかな人になっていました。

二つ目に、今までの人生についての神様への感謝が見られます。先程はお読みしませんでしたが、パウロはこんなことを書いています。「わたしを通して福音があまねく宣べ伝えられ、すべての民族がそれを聞くようになるために、主はわたしのそばにいて、力づけてくださいました。そして、わたしは獅子の口から救われました。」

迫害があり、嫌なことも辛いこともいっぱいあった。でも彼は、福音のために生きる自分がこれまで守られ、恵まれたことだけを書いています。じっくり振り返ってみて、老人パウロには、主イエス・キリストが彼のそばにいて、普通なら耐えられない様々な苦難の時も力づけ、助けてくださった感謝なことだけが、何より強く思い出されるのでした。これは、彼が日々神様への感謝を第一にしてきたその積み重ねの結果でなくて、何でしょう。

三つ目は、永遠の天国と救いの完成についての確信です。先程お読みしました所を、もう一度お読み致します。「主はわたしをすべての悪い業から助け出し、天にある御自分の国へ救い入れてくださいます。主に栄光が世々限りなくありますように、アーメン。」

実はパウロは、恐ろしい悪の力が彼の命を奪おうとしていることも、自分の死が近づいていることも自覚し、知っていました。事実、彼は間もなくローマで殉教します。しかし、そんなことは、もうどうでも良かったのでした。新約聖書のローマの信徒への手紙8章の終りの方で書いているのですが、死であろうと何であろうと、救い主キリスト・イエスによって示された神の愛から、信仰者を決して引き離せないことを、彼は常に覚えて生きてきました。その積み重ねが、永遠の救いの確信に満ちたパウロという人を造り上げていたのでした。

繰返して言うまでもなく、若いことは感謝なことです。しかし、歳を重ねることも、やはり感謝なことだと思います。穏やかで、感謝をこそ覚え、救いと永遠の命の確信に満ちた、イエス・キリストの弟子パウロ。ここに、歳を重ねることについての一つの素晴らしいモデルがあると思います。イエス・キリストに伴われて、ご一緒にこのように歳を重ねていくことができれば、と思います。

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