あなたの道であるキリスト

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聖書の言葉

イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」

新約聖書 ヨハネによる福音書 14章6節

宮﨑契一によるメッセージ

このラジオを聞いておられる方が、どのように放送を聞いておられるのか、いつも考えることがあります。既に教会に行っておられて信仰を持っている方が聞いておられることがありますし、または、まだ信仰を持たれていない方がたまたまラジオをつけたらこの放送に辿り着いた、ということもあると思います。一人でも多くの方に、救い主イエス・キリストに出会っていただきたいと、この朝も願っています。

最初に、聖書の中でも大変有名なイエス・キリストの言葉をお読みしました。キリストは御自分についてこう言われます。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」「わたしは道であり、真理であり、命である。」これは私たちにとって何か分かるようで、なかなか分かりにくい言葉であるかもしれません。

わたしは道である、イエスはこう言われました。このキリストというお方を、あなたの道として人生を生きることを言われています。私たちは誰でも、自分が本当に進むべき道があるのならばそれを知りたい、そう思うことがあるのではないでしょうか。

私たちは日常生活を送っていると、必ず心を騒がせることがあります。いつも、心が静かでいることなど私たちにはできないのだと思います。私も牧師をやっていますけれども、それでも、いつも心が静かで落ち着いているのかというと、決してそうではありません。些細なことで、心が揺れ動きます。恐れや、不安、相手に対する憤り、妬み、そういういろいろな思いが湧き上がってくることがあります。

そこで気づかされることは、私たち自身は確かな者ではない、ということです。揺れ動くこと、心が騒ぐことの多い者です。自分だけでは、本当に確かに生きることはできない、そういうふうにも言えると思います。そういう私たちにイエス・キリストは、「わたしがあなたの道であり、真理であり、命である」こう言われて、わたし(イエス・キリスト)をあなたの進むべき道とするように、と語り掛けておられるのです。

作家の三浦綾子さんの作品に、『道ありき』という小説があります。この小説は、タイトルが示していますように、三浦さんご自身がそれまで通って来た道について書かれているものです。そういう自伝的な小説です。この「道ありき」というタイトルは、「わたしは道であり、真理であり、命である」このキリストの言葉から取られたものです。

この本の中にある三浦さんが進んだ道というのは、私たちの目から見て、いわゆる魅力的な道ではありません。本当にきれいで何の問題もない、というのではありませんし、順調な道なのでもありません。むしろ、三浦さんの揺れ動く心や、自分の中にある醜い思い、そういう思いが率直に書かれている小説です。

三浦さんは戦争が終わるまで、小学校の教師をされていました。けれども、敗戦後のそれまでとは一変した教育の状況の中で、自分はこれまで学校で間違ったことを教えてきた、そのことに思い悩みます。そして、二人の男性と同時に婚約をしてしまう、という荒れた生活を送ることにもなりました。戦後の一変した状況の中で、自分はいったい何を信じれば良いのか、信じるものが見えないような状況でした。

そういう時に、まだ20代の若い三浦さんを病が襲います。それは、当時、死刑の宣告に等しいと言われていた肺結核でした。三浦さんは、20代から30代という一番元気のある時に、療養所に入って、そこでの生活をすることになります。

けれども、その時に、三浦さんにはある一人の男性との出会いが与えられました。この男性は、キリストを信じていたクリスチャンでした。キリストを自らの道としていた人です。三浦さんは最初はクリスチャンそのものに対して嫌悪感を抱いていました。また、クリスチャンの祈りはウソッパチだ、そういう思いも持っていたようです。

けれども、この男性との出会いや、教会の牧師との出会いもある中で、三浦さんはやがて熱心に聖書を読み始めるようになります。自分のために書かれた言葉として、聖書を読み始めるようになりました。そして、この聖書の中に書かれているイエス・キリストを信じること、このキリストを自分の進むべき道とすること、そういう信仰へと導かれて行くことになります。やがて、そのクリスチャンの男性は、病の中で若くして亡くなるという、三浦さんにとっては非常に深い悲しみを覚えることになりました。けれども、その後に、やがて結婚する三浦光世さんとの出会いが与えられます。そして、最後には2人は本当に神に感謝しながら、結婚をすることになりました。

三浦さんの進んだ道は、決して私たちの目に順調に見える道ではありませんでした。むしろ、本当に自分自身の醜さや欠点がある。けれども、そういうことがある中で、三浦さんはキリストに出会い、この方を信じることになりました。

「わたしが道であり、真理であり、命である」こうありますように、キリストを道とするということ、キリストを信じるということは、いろいろなことがある中で、必ず真理や、あなたを生かす本当の命に辿り着くものです。それが、聖書の約束です。三浦さんのように、いろいろな事件、事故を経験する中でも、心から神に感謝することができる、心から神を喜ぶことができる、そういう道なのです。

キリストをあなたの人生の道としてみませんか。そのことを心からお奨めいたします。

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