暗闇に光~《愛の世界》Migiwaより~

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聖書の言葉

イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」

新約聖書 ヨハネによる福音書 8章12節

大西良嗣によるメッセージ

シンガー・ソングライターのMigiwaさんが、2013年10月に新しいアルバムをリリースしました。『愛の世界』というタイトルが付けられたアルバムです。

このアルバムの特徴は、聖書の言葉に密着した歌詞がとても多いということです。中には、聖書の言葉をそのまま歌っているところもあります。

今回、ご紹介する曲も、歌い始めるとすぐに、聖書の一場面が思い浮かぶような歌です。こんな歌詞で始まります。

「罪でとらわれ石打になるべきときにきよい主だけが私を守り罪に定めず」

聖書の中にある、こんな場面が目に浮かびます。

ある時、イエス様のところに、姦通の現場で捕らえられた女性が連れて来られました。旧約聖書に記された律法に照らすならば、このような女性は、石で打ち殺されることになっています。人々は、イエス様のところへやって来て、「あなたはどうお考えになりますか!」と迫ります。ところが、イエス様は、何もお答えにならず、かがみ込んで、地面に何かを書いていらっしゃいます。これまで、人々の怒りは、捕らえられた女性に向けられていたはずですが、今は、何もお答えにならないイエス様に対する苛立ちに変わりました。しつこくイエス様に問い続けます。イエス様は、ついに口を開かれました。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」これを聞いて、人々は、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエス様と、この女性だけが残りました。だれも、この女性を石打にして罰することがなかったのです。イエス様も言われます。「わたしもあなたを罪に定めない。」

本来ならば、石打の刑にされるところでした。イエス様ご自身が、刑罰を命じてもおかしくない場面でした。しかし、イエス様は、だれも彼女を石打にできないようにしました。それだけでなく、イエス様ご自身も、罰しませんでした。彼女は、こうして救い出されました。このようにして、イエス様の愛に触れた、この女性は、おそらく、人生がすっかり変わってしまったのではないでしょうか?これまでと世界が違って見えるほど、心の内側から喜びがあふれて来たのではないかと思います。

Migiwaさんの歌では、こんなふうに歌詞が続きます。

「イエスの愛にふれたときからいのちの水あふれ流れる」

イエス様の愛に触れると、心の内から、「いのちの水」があふれ流れます。

イエス様は、こんなふうにおっしゃったことがあります。「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」

イエス様の愛に触れて、この方のすばらしさを知って、「この方を信じて行こう」、「この方に従って行こう」とすると、喜びがあふれてきて、生きる力が湧いてきます。他のものに頼ったのでは決して得られない安心に満たされます。神様が、そうしてくださいます。

それは、暗闇の中を歩いていたところに、光がやって来るのにも似ています。Migiwaさんは、こんなふうに歌います。

「暗闇に光が来られた罪ゆるすため救い出すため世に来られた」

私たちは、人を憎み出すと止まりません。不快な思いをさせられると、いつまでも赦せず、うらみ続けます。そんなふうに、私たちは罪という暗闇に捕らわれています。イエス様は、私たちを暗闇から救い出すために、光として、世に来てくださいました。真っ暗で、一歩も足を踏み出せなかった私たちが、光によって、安心して、一歩一歩を前に進むことができるようになる、そんな変化です。

Migiwaさんは、さらに続けます。

「キリストに従い歩もう決して闇には戻ることないいのちの光持って」

イエス・キリストは、暗闇の中に光として来られた方です。イエス様は、こう言われます。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩まず、命の光を持つ。」

一瞬、光が見えて、希望が持てると思ったのに、また闇に戻ってしまう。私たちは人生の中で、そんなことを何度も経験しているのではないでしょうか?イエス様に従う人生では、そんな心配は要りません。光であるイエス様に従って歩み続けるならば、決して闇に戻ることはありません。人生に、どんな影がさしても、危うさを感じても、大丈夫です。世の光であられるお方の近くならば、困難なことが起こって、影がさしたように見えても、光によって闇は消し去られます。

イエス様は、私たちのことを、本当にすばらしい愛で、愛してくださいます。このお方にしたがって生きていく。それは、生きる喜びを湧き上がらせ、命の光を持って生きる道です。

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