わたし発見!

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聖書の言葉

人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。

新約聖書 マタイによる福音書 16章26節

乾 順によるメッセージ

数年前になりますが、NHK文化センターの「わたし発見」という講座を受講したことがあります。これはカウンセリングに関する講座です。

ある日の講座のお話の中で、講師の先生がこんなことを言われました。「『わたし発見』とは関係性を見ながら『わたし』を見ていく。関係性の中で『わたし』について考える」と。

その時わたしがこの講師の先生の言葉から連想したことは、他の誰でもないわたしという存在は神様との関係の中で捉えないと本当に正しく発見できないのでは?ということでした。自分と違う他人との関係性の中でわたしという人間を自覚し、発見できることも多いのですが、もっと根源に帰って「わたしとは何か」ということを知るために、神様との関係でしか知り得ないものがあると改めて考えさせられました。

さて、マタイによる福音書16章26節で、イエス・キリストは「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか」とわたしたちに問いかけておられます。ここで使われている「命」という言葉は広い意味合いのある言葉で、単なる肉体の命という意味の言葉ではありません。「こころ、魂、人格の主体-すなわち他の誰でもない自分自身-」そういう意味の言葉です。

この命は「わたしの存在そのもの」です。これがなければ本当の自分として生きることが出来ないようなものです。「全世界を手に入れてもそれを失ったら、どうしようもない」というほどの大きな価値を持つ自分、そういう自分を見つけていますか、とイエス・キリストは問いかけておられるのです。神様の前での「わたし発見」をしていますか、ということです。

自分の命、すなわち「わたし」という存在は全世界をもってしても替えられない。それほど大きな値打ちをあなたは持っている。そのあなた自身の値打ちに気づいていますか、とイエス・キリストは問いかけておられるのです。わたしたちの毎日の生活の中で、自分がそんなに大切なものだということを自覚して生きているか、ということです。

皆さんはそのことを自覚して生きておられるでしょうか。人の言葉に左右され、また自分の行いを見てだめ人間と思い、「自分なんかいてもいなくてもいい人間だ」と考えてはおられないでしょうか。

わたしたちは長い年月を通して培われてきた価値観を持っており、その中で生きています。それは、自分の存在価値を、あれが出来る、これが出来るということで評価する、すなわち100のうち80出来るほうが、50出来るよりも価値があるという尺度です。しかし、それは、優越感と劣等感の世界であり、その中に自分の本当の価値を見出すことはできません。何かが出来ることに自分の存在価値を見出そうとする生き方は、かえって不安と恐れにとらわれる人生となってしまいます。何かが出来るかどうかではなく、それとは関係なく、自分の存在価値を見いだせた時、初めて本物の人生を送ることができるのです。

ある調査によれば、赤ちゃんが生まれてから一年間に聞く言葉の80%以上が消極的・否定的な言葉だそうです。0才にしてそうですからその後どうなるかは考えてみれば分かります。言葉はそれを聞く人の心に影響を与えます。消極的・否定的な言葉を聞かされ続けていると、知らず知らず消極的・否定的な性格になっていきます。家庭にも、学校にも、職場にも否定的なメッセージがあふれている現代は、ある意味で自分を愛することが難しい時代なのかもしれません。「自分はダメな人間だ」と思う心の底から「だれかわたしの価値を認めて下さい!」、「わたしを愛して、生きる喜びを与えて下さい!」という、叫びが聞こえてきます。この訴えにだれが答えることができるでしょうか。

イエス・キリストは言われました。「あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。」

わたしたちは鳥よりもはるかに優れた者です。そうであるなら、その自分の存在価値をもっと神様にあって発見し、認めていくことが必要なのではないでしょうか。

あなたの指を見て下さい。世界に50数億の人がいたとしても、あなたと同じ指紋を持った人は一人もいません。そのように神様は、一人一人をユニークで特別な存在として造り、他の人では代わることのできないものとして見ておられるのです。聖書には「わたしたちは神の作品である」(エフェソ2:10)とあります。

わたしたちは神様の芸術作品であって製品ではありません。神様の愛によってわたしたちは存在しているのです。何かができる、できないではなく、あなたの存在そのものに価値があると神様は言われるのです。

神様は「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と言っておられます。(イザヤ43:4)

これはあなたへのメッセージです。後は、あなたがこの言葉を自分への言葉として受け取って生きるかどうかなのです。神様がわたしをどのように見ていて下さるかを聖書を通して知る時に、本当のすばらしいわたしを発見することが出来るのです。

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