あなたの光イエス・キリスト

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聖書の言葉

イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」

新約聖書 ヨハネによる福音書 8章12節

宮﨑契一によるメッセージ

イエス・キリストの語られた言葉をお読みしました。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」。これは、私自身がいつも信仰を奮い立たされるような思いのするキリストの言葉です。とても力強い言葉だと思います。

私たちは誰でも、光が欲しいと思います。自分の生きる希望が欲しいと思っています。あえて希望のない暗闇の中に生きたい、と思う人はいないでしょう。何かの光が欲しい。希望に生きたい、と考えているのだと思います。

けれども、一方で私たちは、その本当の光が自分の内にあるとはあまり思わないのではないでしょうか。もちろん、私たちにも、長所や短所といったものはあります。一人一人に良い部分もあれば、悪い部分もあります。

けれども、そういった人間の長所のようなものに、本当の救いはあるのでしょうか。自分の中に、本当の輝くような光があるでしょうか。私たちは本当の自分自身の姿に向き合わされる時に、自分の内には光がない、ということに気づかされるのだと思います。そして、実は本当の光を求めている自分自身に気づくと思うのです。

聖書は、人間の内には光はないと言っています。救いは無いと言っています。むしろ、人間は暗闇の中を歩いている、と言うのです。私たちの住む地であったり、国々は暗闇に覆われている、と聖書は語っています。

私たちは、毎日の生活の中で、暗闇のような現実を感じることがあるのではないでしょうか。生きていると、そういう中に置かれている自分を覚えることがあると思います。つい数か月前に過ごしましたクリスマスから新年にかけては、一年の中でも大変賑やかな時期です。クリスマスには、多くの町がイルミネーションで明るくなります。正月になれば、多くの人たちが神社や仏閣にお参りに来て、賑やかになります。

けれども、こういう明るく見えるような中にも、悲惨な事件や事故は後を絶ちませんでした。人間同士が憎しみ合って、相手の命を奪うという事件は依然としてあります。また、人間同士ということに止まらないで、国同士の間も争いが絶えません。人間がどんなに明るく楽しく過ごそうとしても、やはり消えることのない暗闇の現実が私たちにはあると思います。

また、私たちの心の中もやはり平安ではありません。人同士で接する時にも、私たちはいろいろな思いを持ちます。嬉しい時や、楽しい時、充実した時もありますけが、一方で、憎しみの思いとか、妬みの思い、焦りとか不安とか恐れなど、本当に心が安らかではないことも多いと思います。

そういう私たちの暗闇と平安のない現実がある中で、イエス・キリストは宣言をされているのです。わたしが世の光である。わたしに従う者は、もはや暗闇の中を歩かない。命の光を持っている、と言われます。このキリストの言葉は、私たちにとって大変力強い言葉ではないかと思います。私たちはただこの方を光として、受け取れば良いのです。

ここにあるのは、自分のほうから悟ろう、頑張って理解しよう、という光ではありません。自分の方から得るというよりも、聖書の神が、キリストという救い主を与えてくださっていて、私たちはただこの方を受け取るだけなのです。ただこのことが求められていることです。イエス・キリストを、光として信じ受け入れて、このお方について行くこと。そのことが言われています。そこに、あなたにとっての光があり、命があると、聖書は私たちに語り掛けるのです。

このイエス・キリストは、私たちのために御自分が十字架という刑罰を受けて死なれました。この世の暗闇と、私たちの心の中にある罪の思い、それを全てその身に背負ってキリストは死なれたのです。そしてこの方は、その全ての闇と罪に勝利をされて、三日目に復活されました。本当に私たちにとっての命の光としての歩みを成し遂げてくださったのがイエス・キリストです。

このイエス・キリストという方を受け入れれば、あなたもキリストの復活の命に生かされています。暗闇のような現実の中でも、生きることができるのです。光に照らされた輝く人として、救われた人として、生きることが許されています。

キリスト教会という場所は、ただイエス・キリストを受け取って、この光に照らされて生きる人たちの集まりです。もちろん、自分の中に光があるのではありません。教会の一人一人も、いろいろな人生の試練を味わって、そのことに悩んだり、苦しんだりしながらのものです。

けれども、教会は、その中でただイエス・キリストを信じて、光として受け取ることがなされ続けている場所です。この暗闇の中に、キリストという光が与えられたことを喜んで、神を礼拝し続けることが教会では今日もなされています。是非、お近くキリスト教会を尋ねてみてください。教会という場所は、あなたに、ただイエス・キリストという光を与える場所です。

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