祈りの貌(かたち)、祈りの心

ラジオ放送 キリストへの時間のトップページへ戻る

聖書の言葉

「ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』」

新約聖書 ルカによる福音書 18章13節

城下忠司によるメッセージ

最近のことですが、テレビで中国チベット自治区に住んでいるある家族が、彼らの村から2,100㎞も離れている、チベット仏教の聖地にある寺院に向かって、巡礼する姿が映し出されました。行く方法は乗り物ではなくて、すべて歩いて、それも手を地面について一歩一歩祈りながら進んでいく・・・。そういう巡礼の姿を見て、大変感動したことを覚えています。

私の郷里は四国ですが、八十八カ所の寺を巡礼するしきたりが、何百年も昔から続いています。今では自家用車でまわる人が多いそうです。他の宗教をみても、生活の中で、一日の決まった時間が来ると、聖地に向かって何度も地面にひれ伏して祈りをする姿を目にします。祈りのカタチは、あらゆる宗教によってそれぞれ異なっていますが、神さまに真剣に祈る人々の姿には、どこか厳粛な、畏れ多い気持ちにさせられます。

私は、聖書が教える全宇宙の創造主である神さまを信じて祈りますが、その祈りの内容は自分の願い事、特に家族の平安や安全などを祈っていることが多いように思います。そして時として「こんな祈りで神さまは聞き入れてくださるだろうか」と、疑いの心を持つことがあります。また、イエスさまは、本当に「どんなことでも」「何でも」「望むことを」かなえてくださるだろうか、といぶかる気持ちもあります。そしてまた、時として祈れないことがあり、あるいは祈らない時もあるのが実際です。

さて、今日の御言葉は、ルカによる福音書の18章9~13節まででイエスさまが語られた御言葉の一部ですが、ここには二人の人物が登場します。当時のユダヤの国の上流社会に属する、神さまの掟を全部守っていると自認している「ファリサイ人」と、税金を取り立ててローマへ納める仕事をしている役人で、「徴税人」と呼ばれる人です。徴税人の多くは税金を余分に集め、自分の懐に入れることをしていたので、人々は彼らを悪人、罪人扱いしていました。

ファリサイ人の祈りはこうです。「神さま、私は感謝します。私は他の人たちのように奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者、でなく、また、この徴税人のような者でないことを感謝します」と。なんと自己中心の祈りでしょうか。他人と比較して自分が立派であることを感謝して祈っています。この人は、まるで、神さまの前で、誇っているかのようです。自分が正しい人間だと思っています。ここには自分について、悩みも疑いもない様子が伺われ、自分の弱さや罪深さを思い、悲しんだり、反省したりする姿は見えません。

他方、徴税人の祈りは全く対照的です。「彼は目を上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神さま、罪人の私を憐れんでください。』」徴税人は、神さまから遠く離れている自分を知っていました。さらに、自分が神さまの前に罪人にすぎないことも知りました。自分が無価値な者であることを覚えることができ、ただただ、「神さまの憐れみに依り頼むほかない」との思いで祈ったのです。「あなたの怒りを和らげてください。あなたの赦しのうちに、あなたの愛のうちに、どうか私を覚えてください」との願いを抱いて祈ったのです。

ここには、私たちが神さまに向かって祈る「祈りの心」を見て取ることができます。自分中心ではない、神さまが中心にある信仰を見ることができます。神さまの前に自分の貧しい心を自覚するところから、この人の祈りが始まっています。彼の祈りは、自分の思いにのみ立たないで、神さまの憐れみを求めて祈られています。

祈りは、単に私たちの望みを願うだけではなく、神さまが私たちにとって必要最善であるものをご存じですから、そのことを願い求めることであると言えるのではないでしょうか。ですから、私たちは困難なとき、病のとき、危険なときにだけ祈るのではなく、いつでも、どこでも祈ることができるのです。

聖書はいたるところで、イエスさまが祈りのお手本を教えていてくださることを記しています。また、イエスさまの弟子であるパウロという、聖書の中の手紙をたくさん書いた人の祈りの言葉が記されています。パウロはこんな祈りをささげます。「兄弟たち、わたしは彼らが救われることを、心から願い、彼らのために祈っています。」

祈りは神さまへの感謝の中から自然に湧き出てきます。また祈りは、神さまがしっかりと聞いて答えてくださるという、信仰をもって祈られるものです。祈りは自分のための祈りから、兄弟姉妹のための祈りへと進んでいくことを教えてくれます。

私はいまでも、教会の二人の信仰者の祈りを忘れることができません。「神さま、私のようなキリスト者の末席を汚すにすぎない者を憐れんでくださって感謝いたします。どうか、私を神さまの天国に受け入れてください。」「神さま、兄弟姉妹が、私のためにいつも祈っていてくださることを感謝いたします。そして、私の病のゆえに、祈りが、ささげられることができる、その兄弟姉妹の祈りの生活をも守ってくださることを感謝いたします。」

神さまが私の貧しさの中にも、弱さの中にも、疑いの中にも、共にいてくださって、わたしの祈りを助け導いてくださることをいつも感謝して祈りたいと願っています。

関連する番組