心ときめく生き方

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聖書の言葉

それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。

新約聖書 コリントの信徒への手紙一 13章13節

吉田実によるメッセージ

皆さんは最近どんな本を読まれましたか。私は最近、ある1冊の本を通して生活全体が造り変えられると申しますか、「第2の回心」ともいえる劇的な体験をいたしました。その本のタイトルは『人生がときめく片付けの魔法』といいます。お片付けの本なのです。

皆様は身の回りの整理整頓、お片付けはお上手でしょうか。私は全く駄目なのです。考えてみますと私は子どもの頃からずっと、身の回りがすっきり整理されてその状態が継続できたためしがないのです。学生時代、試験の前とかに「これではだめだ、こんな状態では勉強が出来ない」と一念発起して片付けることが時々ありましたけれども、たいていはそれで疲れて寝てしまいまして、試験が終われば元の木阿弥という、不毛なことを繰り返してまいりました。「片づけられない症候群」という病気があるとどこかで聞いたことがありますが、私もきっとそういう病気なのだ。だから仕方がないのだと半ばあきらめていたのです。

そんな時に、あることがきっかけでこの近藤真理恵さんというまだ若い片付けコンサルタントの方が書かれた『人生がときめく片付けの魔法』という本を手に取りまして、目からうろこが落ちる思いで読んだのです。近藤さんは子どもの頃からお母様の婦人雑誌を読むのが好きで、身の回りをどうしたらすっきり片づけられるかということをずっと考えて来られた方で、今は片付けコンサルタントとして働いていらっしゃいます。

そんな近藤さんがおっしゃることの中心は極めて単純です。まず、本当に要るもの以外は処分する。そして物の置く場所をきちんと決める。そして使った後は元に戻す。それだけなのです。確かにそれができればきれいに片づけることが出来るでしょうけれども、それが出来ないから困っているのです。特に物が捨てられないからいつまでたっても片付かないのです。

でもそこで近藤さんはおっしゃいます。「ご自分で手に取ってみて心がときめくかときめかないかで、捨てるものと残すものを判断しましょう。」手にとってときめかない物はもう私にとっては役割を終えた物なのであって、「今まで役に立ってくれてありがとう」と感謝して、廃品回収に出すとか、捨てなければ仕方のないものは捨てる。そうやって身の回りのものとの関係に片を付けて行くのが片付けなのだそうです。そして一番いけないことが、「いつか役に立つかもしれない」と思っていろんなものをため込むことなのだそうです。「まだ使える。いつか使うかもしれない。だからもったいない」と思っていろんなものをため込んで、整理がつかなくて、いつもイライラして仕事の効率も悪くなることの方がよっぽどもったいないことではないですか?と近藤さんはおっしゃいます。これもなるほどなぁと思いました。そして私も実際にいろんなものを手にとって「ときめくかなぁ」と考えながら整理して行きますと、本当に自分でも驚くくらい踏ん切りがついて、整理されて行くのです。まだ途中ですけれども、私の身の回りはだんだんと「心ときめくもの」だけが残されて整理されて行くはずです。

なぜこんな話を長々としているのかと申しますと、聖書の神様と出会うなら、イエス・キリストというお方と本当に出会うことが出来たなら、身の回りのものだけではなくて、私たちの人生そのものが本当の意味で「心ときめくことかどうか」という視点で整理されて行くからです。

聖書は、私たち人間はやがては神様の御前に立たされまして、地上でどのように歩んできたかを問われる日が来ると教えてくれています。その時に、どんなに事業で成功いたしましても、どんなにお金持ちになりましても、どんなに有名になりましても、神様の御前には何の意味も持たないのです。そういうものは永遠の価値を持たないのです。

始めに読みました聖書の箇所にはこう書かれていました。「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」私たち罪人を救うために十字架の上で命を捧げて下さいましたイエス・キリストの愛の中で、私たちもキリストに従って愛に生きるなら、悲しんでいる人のそばに寄り添うなら、傷ついている人の言葉に真剣に耳を傾けるなら、そういう愛の実践は決して小さなことではなく永遠に価値あることとして残って、やがて神様の御前に出たときに数えられて、褒めていただけるのです。

そういう意味では、私たちの人生の歩みで一番心ときめくこととは、有名になって異性からもてるとか、お金持ちになってちやほやされるとか、そういうことではなくて、キリストの十字架の愛で愛されている者として、神様を愛し、隣人を愛して生きるということなのです。それは病気になっても、加齢のゆえに体が思うように動かなくなっても出来ることです。私たちは残された人生の時を無駄遣いしないように、この「本当の意味で心ときめくこと」のために、自分に与えられた時を用いたいと思います。そして人生の最後まで心ときめきながら、私たちのことを命を懸けて愛してくださっている主イエスの御後に従って行きたいと思います。

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