神様からのラブレター

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聖書の言葉

かつて書かれた事柄は、すべてわたしたちを教え導くためのものです。それでわたしたちは、聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです。

新約聖書 ローマの信徒への手紙 15章4節

吉田実によるメッセージ

皆さんは手紙を書くことがおありでしょうか。私は、最近はもっぱらメールでのやり取りで済ませてしまうことがほとんどで、便箋に手書きでじっくり手紙を書くという機会はめっきり減ってしまいました。でも、手書きの手紙をいただくということはとても嬉しいことだと思うのです。教会には毎日郵便物が届きますけれども、そのほとんどが「神戸長田教会御中」とワープロで打った活字のシールがペタッと貼った茶色の封筒でありまして、重要な内容の物ももちろんあるのですけれども、正直に申しましてそういう郵便物はあまり見る気がしないのです。そしてその中に、たとえ1枚のはがきでも、手書きで「吉田実様」と書かれたものがありますと、とっても嬉しいのです。神戸長田教会御中の郵便物はとりあえず机の上において、まずそういう私宛のはがきや手紙を読みます。そっちの方がはるかに嬉しいからです。

今でもはっきり覚えているのですけれども、私は中学校3年生の卒業前の3月に、初めて女の子から手紙をもらいました。始業のベルが鳴ったので席について、机の棚から教科書を出そうとしますと、なんとそこに花柄の封筒が入っていたのです。そして表書きには「吉田君へ」と書かれていました。そして裏を見ますと、なんと当時大好きだったN子ちゃんの名前が書かれているではありませんか!時々男子がそういういたずらをすることがあるのですけれども、それは完全に女の子の筆跡なのです。「ついに僕にもこういう時がやってきた!」と思いました。

そして、もう授業の内容など全く頭に入らなくて、授業が終わったらすぐにトイレに駆け込んで、その手紙を読みました。それはラブレターと言うようなものではなくて「今まで仲良くしてくれてありがとう。卒業しても仲良くしようね!」と書いてあっただけなのです。そして彼女は卒業文集にも同じようなことを書いていました。でも、同じ内容でも、不特定多数の同級生に向かって書かれた卒業文集の言葉と、「吉田君へ」と書かれた花柄の封筒に入っている便箋に手書きで書かれている言葉とでは、その意味も、言葉の力も、伝わり方も全然違うのです。私はその手紙を机の引き出しに入れまして、多分その後1年間くらい、苦しいことや悲しいことがあるたびに取り出しては読み返して、心の支えにいたしました。

手紙とは、特に愛のこもった手紙はとっても嬉しくて、人に慰めや励ましを与えてくれます。それは不特定多数の人々への言葉ではなくて、この私への言葉だからです。そして聖書とは、実はそういうものなのです。聖書はただの「人生の役に立つ、昔の人の知恵や教えがつまっている古典」ではありません。聖書は本の形をしていますが、神様の言葉であり、神様からの愛の手紙なのです。今も生きておられる神様は、この聖書の言葉を通して、今日のこの私に語りかけて下さるのです。

始めにお読みいたしましたローマの信徒への手紙の15章4節で、著者のパウロはローマ教会の人々に向かってこう書きました。「かつて書かれた事柄は、すべてわたしたちを教え導くためのものです。」「かつて書かれた事柄」とは聖書のことです。この時はまだ新約聖書はありませんでしたので、これは旧約聖書のことです。旧約聖書は何千年も前から、その時々のイスラエルの民に対して語られた神様の言葉を様々な形式で書いてまとめられたものです。ですから当然、旧約聖書が書かれたときにはパウロもローマ教会の人々もまだ生まれてはいなかったのです。

でも、そんな旧約聖書は「わたしたちを教え導くためのものです」とパウロは語りました。今も生きておられる神様が、聖書の言葉を通して今の私たちに語りかけて下さって、今の私たちに必要なことを教え、導いてくださるからです。そういう意味で、聖書は神様から私達への手紙、神様からのラブレターなのです。パウロは特に、ローマ教会の中で残念で悲しい我慢をしなければならなかった人々に向かってこの言葉を語りました。そして「聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることが出来るのです」と教えました。

それは私たちも同じです。私たちも時に、仕事や学校の人間関係のトラブルや、不慮の事故や、病や加齢に伴う痛みなど、さまざまに悲しい我慢を強いられることがあります。そんな今日の私たちに対して、神様は聖書の言葉を通して慰めと励ましと希望を与えて下さいます。聖書はそういう神様から私達へのラブレターなのです。聖書にはイエス・キリストの十字架に表わされた神様の愛が満ち溢れています。この神様からのラブレターを開封しないまま一日を始めるということは、ありえないことだと私は思います。「神様、あなたが本当にいらっしゃるなら、わたしにも語りかけて下さい。」と祈りながら、聖書を開いてみませんか?あなたの人生を根本から造りかえてしまうような神様の愛の言葉が、今日、皆様のお心にも届きますように。

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