自閉症児の豊かな世界 その1

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聖書の言葉

すると主は、「私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ、十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。

新約聖書 コリントの信徒への手紙二 12章9節

吉田実によるメッセージ

今回は、私どもの家庭に与えられております息子に関する証をさせていただきたいと願っています。

我が家には3人の子供達が与えられているのですけれども、二番目に生まれました長男の献(ささぐ)は、重度の知的障害を伴う自閉症という障害があります。

自閉症と申しますと、自らを閉ざすと書きますので、引きこもり傾向と勘違いされたりすることが多いのですけれども、そうではありません。自閉症とはコミュニケーション能力の発達に異常が生じる発達障害の一種で、先天性の脳機能障害です。昔はそのあたりのことがよく理解されなくて、親の育て方に問題があるように誤解され、一番苦労して一番頑張っているお母さんが大変つらい思いをするというようなこともありましたけれども、決してそうでは無いのです。詳しいことはまだまだ解明されていないのですが、それは生まれつきの中枢神経の障害なのです。その特徴としては、人の表情が読めない、目が合わない、人と共感することが難しい、言葉が遅れる、言葉がオウム返しになる、独特のこだわりがある、というような傾向があります。

献は重度の知的障害を伴っていますから、全く話すことが出来ません。聞くことは少し出来る様になってきましたけれども、短い単語をいくつか理解できる程度です。ただ話せないというだけではなくて「話し言葉」という文化を持たない人なのです。1歳半検診の時には特に大きな注意はなく、「アンパンマン」とか「おとうさん」「おかあさん」と言ったこともあったのです。でも彼の言葉はその後増えるのではなくて、逆に消えていきました。そして2歳半のときに、障害があることをはっきりと告げられたのです。涙ながらにお医者様の言葉を報告する妻に対して、私は「これは誰のせいでもない。神様がこの子を私たちに委ねてくださったのだから、一緒に精一杯育てていこう」というようなことを言ったと思います。けれども、今になって思えば、それは本当に心から確信を持って語った言葉ではなくて、思わず反射的に口をついて出た言葉でした。実際は自分自身がこの事実をどう受け止めればよいのか分からなかったのです。そしてこの、思わず口をついて出た言葉が、私達の本当の確信となるまでの悪戦苦闘の日々が始まったのです。

専門医から「お宅の息子さんは知的障害を伴う自閉症です」とはっきりと告げられた後も、私はしばらくこの事実を受け入れることが出来ませんでした。「大丈夫ですよ。治りますよ。」と言ってくれる医者はいないか、色々探したりもしました。しかし障害は障害である以上、完全に治るということはありません。そのことが分かってからは、今度は「何故こうなってしまったのか」と、いわゆる犯人探しをした時期もありました。この時期が一番つらかったように思います。

そしてそんな時、私は1冊の本に出会いました。杉山登志朗先生が書かれた『発達障害の豊かな世界』という本です。その中で先生は、てる君という自閉症の青年が、ある日突然幼稚園の頃の楽しかった一日の出来事を絵に描き始めて、それが10年間にわたって、2000枚にも及んだという出来事を紹介しています。そしてその彼の行為は、現在の厳しい仕事を続けるための彼の力になったのだろうと先生は分析しています。そしてこうも述べておられます。「自閉症にとって過去の記憶は、尽きることのない『豊かな泉』となるのであり、彼らの心の中に、出来るだけ多くの楽しい記憶が残されることが大切であると考える。」

タイムスリップ現象と言いまして、自閉症の人は過去に起こったことをある日突然、まるで今起こったことのように心の中で再現することがあります。それがつらい思い出であるときにはパニックを起こしたりすることが多いのですけれども、杉山先生は楽しい記憶のタイムスリップもあることを指摘しています。もしそうであるならば、この子の心の中に、口では言えない色んなつらいこと、悲しいこと、悔しいことに負けないだけの、嬉しく楽しい思い出をいっぱい刻んであげれば、それは一生彼の生きる力になるかもしれない。そして神様は、通常の仕方とは違う、彼にしか出来ないことを、そこからはじめてくださるのかもしれないと思うようになりました。また杉山先生はこうも書いています。「障害児の早期療育において最も大切なことは、実は子供の療育ではなく、障害児を抱えた母親を支えることである。」この言葉も、目が開かれるような思いで読みました。そのようにして私達は、いつの間にか献を通して今まで考えなかったことを考え、見えなかったことを見つめるようになり、家族の絆もさらに深まっていったと思います。こうして私達は「私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ、十分に発揮されるのだ。」という主の御言葉に対して、心から「アーメン」と言えるように、次第に整えられていったのです。

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