ジャベールのまなざし

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聖書の言葉

イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て、「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と思った。

新約聖書 ルカによる福音書 7章39節

岩崎謙によるメッセージ

今週は、先週の続きです。『レ・ミゼラブル』の映画を再び取り上げます。今日の題は「ジャベールのまなざし」としました。ジャベールは、人生をかけて、主人公のジャン・バルジャンを執拗に追い回していた警部です。

主人公のジャン・バルジャンは、回心の体験に基づき、新しい土地で新しい生活を立ち上げました。その際、ジャンは、名前を変え、自分の過去を隠し、慎ましいけれども、豊かな愛に生きる日々を過ごしています。その土地で、ジャベールとジャンは、運命的とも言える再会を果たします。ジャベールは、ジャンの過去をつぶさに知っています。ジャベールは、回心したジャンの姿を偽りであると見なし、ジャベールのまなざしは、現在のジャンの姿ではなく、ジャンの罪深い過去をいつも見つめています。ジャベールに追い詰められ、ジャンは新しい生活のすべてを捨てざるを得なくされます。その時、ジャンは、身寄りのない幼い娘コゼットを引き取ることになり、ジャンとコゼットとの二人での逃亡生活が始まります。

ジャベールは、法を守ることを至上命令として、法を破る者に罰を与えることを自分の使命と確信していました。その際、慈悲とか愛とか赦しとかが、入り込まないように細心の注意を払って、徹底して無慈悲に、情け容赦なく、振る舞っています。ところで、映画を観て、一番強烈に印象に残ったシーンの一つは、このジャベールが最後に自殺した場面です。下を見るのが怖いほど高い建物の屋根から真っ暗な、底なしのような中に、飛び降りて行きました。小説では、セーヌ川から身投げしたことになっています。その場面は、このように描かれています。

首をかしげて、下を覗き込んだ。真っ暗だ。中略引き込まれそうな暗闇などが、夜のなかで彼を威喝してくる。ジャベールはもうしばらくじっとしたまま、真っ暗な橋の下を見下ろしていた。中略にぶいザブンという水音が響く。黒い人影が身を震わせながら水のなかに消えた理由を知るのは、闇だけだった。

ジャベールは、訳あって、ジャンから情けを受けました。その後、ジャベールは、自分を助けてくれたジャンをもう捕らえることができなくなり、彼の生き方は変更を余儀なくされます。そして、人を決して赦さなかった自分が今赦されて生きていることに耐えられなくなり、死を選んだのです。ジャベールは、赦された体験がこれまでになく、人を赦す体験へと進み行く機会もありませんでした。彼は、ジャンを追い詰め続け、そして、最後は自分をも追い詰めてしまいました。先週お話ししましたように、赦され赦して生きてきたジャンの最後は、燭台の光で照らされていました。それとの対比において、赦しの光を拒絶し続けてきたジャベールの最後は、闇の体験として描かれています。

ここで、先週と同じように、ルカによる福音書の物語に戻ります。罪深い女と呼ばれている人が、主イエスに会うために、シモンの家に来ました。彼女の目から涙が流れ落ち、主イエスの足を濡らします。彼女は、座り込み、自分の長い髪で、主イエスの足を拭き、主イエスの足に接吻して、主の足に香油を塗りました。シモンは、彼女のこの行為を見ても、彼女のことを罪深い女としか認識できません。シモンは、彼女が如何に主イエスを愛そうとも、彼女の中に赦しからわき上がる愛があることを、見ることができません。昔犯した罪の故に、シモンの目には、彼女はいつも罪の女のままです。

わたしは、このファリサイ派のシモンの中に、ジャベールの姿を見ました。それだけでなく、シモンのまなざしとジャベールのまなざしのなかに、罪に対するこの世の厳しさを見ました。コゼットの母ファンテーヌは、若い頃、恋に落ち、子ども父親の保護が得られない中で出産し、一人で育てようとします。結局他人に預けるのですが、その大変さが映画でも小説でも克明に描かれています。ファンテーヌの悲惨さの中に、一度犯した罪を暴き、生涯、笑い続けようとするこの世の冷酷さが、描き込まれています。そして、ファンテーヌは、ジャベールがジャンを徹底して追い詰める姿を目撃したとき、息を引き取りました。ジャベールは、このファンテーヌをも死にまで追い詰めていました。映画では、ファンテーヌ役の女優がアカデミー賞助演女優賞を獲得しましたが、原作の『ああ無情』というタイトルはまさにファンテーヌに当てはまるものでした。

ファンテーヌの母としての優しさ、女性としての美しさに目が開かれていたのでは、ジャンだけでした。ジャンに見つめられていたファンテーヌは幸せそうでした。ルカによる福音書の話に戻ります。罪の女と町の人から呼ばれている女性の中に、愛の美しさを見つめておられたのは、主イエス・キリストお一人です。主イエスの足を涙で濡らし、接吻し、香油を塗った女は、主イエスと出会ったことが、彼女にとって人生の宝物になっていたはずです。また、主イエス御自身が、彼女との出会いを、シモンとの出会い以上に価値ある出会いとして受け止め、喜んでおられます。

ジャンのファンテーヌへのまなざしは、聖書が語る主イエス・キリストのまなざしを指し示すものです。ファンテーヌがジャンに出会う体験を、すべてのキリスト者は主イエス・キリストと出会う中で味わっています。主イエスは、足に接吻を続ける彼女に語られました。「あなたの罪は赦された。あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」どうか、主イエス・キリストと出会い、主を信じてください。主イエスが与えてくださる安心の中で、闇に覆われることなく、赦しの光を体いっぱいに受けて、人生を歩んでください。

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