あなたは敵を愛せるか

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聖書の言葉

「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」

新約聖書 マタイによる福音書 5章43~46節

城下忠司によるメッセージ

あなたには、なかなか許すことの出来ない、愛することの出来ない人はいないでしょうか。私たち夫婦は、最近までどうしても許すことのできない、愛する事のできない一人の方がいました。その方は数年前、キリスト教系の病院のホスピスで最後の死をむかえられました。

私の妻は大阪の職場で最後の22年間勤務しました。退職して16年経ちましたので旧い昔の話になりますが、私たちにとって、妻の職場での出来事は生涯の信仰生活のなかで、大きな試練でもありました。

それは精神的迫害の歴史と言えるかもしれません。今でいうパワハラと言ったらよいでしょうか。妻はある時には殺意さえ起こったことがあると語ったこともありました。最後に退職するときも、玄関にでて、ご苦労さんの挨拶もなかったのでした。長い期間、よく忍耐できたものだと、今でも不思議な思いにさせられます。

家内は、これらの仕打ちに、何度となく家に帰って涙を流したことでしょうか。

最初にお読みしました、聖書はイエス・キリストが小高い山の上から人々に向かって、説教した箇所です。《しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。》このイエスさまの「敵を愛せよ」という命令は「あなたがたの天の父の子となるために」とイエスさまはその理由を述べています。敵を愛するほど困難なことはありません。「あなたが好きです、と言ってくれる人を愛する」ことは易しいでしょう。イエスさまはあなたの敵を愛することがどんなに困難なことかを知った上で「あなたの敵を愛しなさい」と言われたのです。

イエスさまを信じて生きるという信仰生活にあっても、相手が私たちを執拗に激しく打ち負かそうとしている時、その相手をどのように愛することができるのでしょうか。

時を経ればある程度忘れることもあります。なんとか許したい、忘れたいと思うことはできるでしょう。しかし、本当に許すことができなければ、本当に愛することはできません。

私たちは良いと分かっていてもつい、悪い方へ、悪い方へと向かうものであることも知っています。パウロという人は「わたしの欲している善はしないで、わたしの欲していない悪は、これを行っている。」とローマの信徒への手紙7章19節で語っています。私たちは欠けの多い者であり、自分が罪人であり、罪を犯し続ける人間であることを知っています。私たちは完璧な人間ではありません。それゆえに、神さまの憐れみによって罪の赦しを必要としている者です。また、キリスト者として本当の愛を追い求めている者です。

私たちが他人を憎み、許すことができないならば、憎しみは増していくだけです。自分の心に深い傷を残すだけでしょう。

なぜ、自分の敵を愛さなければならないか、許さなければならないか、この課題については生涯に亘って考え続け、実行しなければならない問題です。イエスさまは「自分を愛してくれる者を愛したからといって、それは当たり前のことです」とおっしゃいました。私たちが苦しいことや、悲しいことなどをどのように乗り越えて行くかは、とても大事なことです。また、私たちの周りで、差別のために困難や苦難、試練にある人たちのことを、どのように受け止めるかを考えることはとても重要なことです。

私たち夫婦が許すことのできなかったその方が、病を得て最後にはキリスト教系の病院のホスピスで死ぬまでの時を過ごしたということを知った時、「きっと彼女は毎日スピーカーから流れてくる聖書の言葉を聞いたことでしょう。彼女は頭のよい方だったので、最後の時を神さまの御言葉に心を開いていたに違いない。きっと、神さまの愛を信じて天国に召されたに違いない」と私たちは話しあいました。このことはまた、イエスさまが私たちの内に働いてくださり、祈ることをとおして、兄弟を愛するようにと、私たち夫婦に教えてくださったと思えるのです。

暗い過去の迫害と言えるような仕打ちに対して、許すことのできなかった私たちは、長い年月を経るなかで、命がけで相手を許そう、愛しようとしたかを問われていると思っています。私たちは自分の敵を許し、愛することがとても大切な生き方であることを、随分年を経てから神さまに教えられたのです。憎しみからの解放は、兄弟を愛することの大切さをより深く教えてくれるものでした。

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