信仰直言「万事を益とすることができる神」

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聖書の言葉

特定の引用箇所はありません

旧約聖書 創世記

市川康則によるメッセージ

田村:今週と来週は久し振りに市川康則牧師の「信仰直言」コーナーです。市川先生、おはようございます。お久し振りです。

市川:おはようございます。お久し振りです。皆様、お待たせしました。えっ?別に待ってない?失礼しました。

田村: いやいや、お待ち兼ねの方もいらっしゃるかもしれませんよ。

市川:いらっしゃる・かも・・・。

田村:私はお待ち申し上げておりました。

市川:有り難うございます。

田村:今回はどのようなお話しでしょうか。

市川:はい、ちょっと難しい言葉かもしれませんが、神様の「摂理」についてお話しします。

田村:摂理、神様がすべてを支配し導いていてくださるという、あの摂理ですか?

市川:はい、あの摂理です。

田村:あの摂理って、どの摂理。

市川:この摂理。

田村:何、仰ってんるんですか、朝から。

市川:失礼しました。漢字で書くと、昔「摂津の国」というのがありました。今の大阪府の北、兵庫県の南東部です。大阪府高槻市にJRの駅に「摂津富田」という駅がありますが、その「摂」です。手編の右上に「耳」その下に片仮名の「ソ」と「ハ」に似た字(本当はちゃんとした言い方があるのでしょうが、存じませんので)。

田村:栄養摂取とか外国文化の摂取と言うときの「摂」ですね。

市川:そうです。元来、「助ける」とか「救う」という意味があるそうです。その「摂」の後に「理」を付けます。理由とか、理屈とか、ものの道理とかいうときの「理」ですね。

田村:「摂」と「理」で「摂理」ですね。

市川:はい。ラジオをお聞きの皆様、すみません。朝からややこしいことを言いまして。なぜ、このテーマを選んだかと言いますと、

田村:はい。

市川:よく神様のお導きをお祈りしますとか、神様のお守りがありますように、などと言いますよね。

田村:はい。

市川:単純に言えば、このお導き、お守りが摂理なんです。信仰生活そのものが神様の摂理と言っていいでしょう。

田村:信仰生活そのものが神様の摂理!?

市川:もちろん、信仰生活するのは私たちで、神様ではありません。

田村:そりゃ、そうですよ。

市川:しかし、その信仰生活が成り立っているのは神様の導き、守りがあればこそです。

田村:なるほど。

市川:さて、神様は天と地を創造されました。人間社会も自然世界もすべて、神の創造によって始まった訳です。しかし、この創造は単に「始め」「開始」というだけのものではありません。

田村:単に始め・開始ではない。ということは・・・

市川:聖書には、神様がご自身のことを例えば「私は初めであり、終わりである」と言われますね。

田村:はい。

市川:不思議だと思いませんか、初めと終わりが同時にあるなんて。

田村:そう言われれば、そうですね。

市川:これは本来、神様が永遠の存在であることを、人間に分かりやすく言い換えたものと言ってもいいでしょう。

田村:どういうことでしょう。

市川:永遠というのは時間を超えているということです。時間の中にあるものには必ず初めと終わりがあります。私たちの人生がそうです。過去・現在・未来というのは時間の流れを表現したものですが、永遠にはこの区別は当てはまりません。ですから、神様はよりふさわしく言えば「私は初めでもなく、終わりでもない。私には初めがなく、終わりもない」ということになりますが、これでは古代のイスラエル人に―いや、私たちにも―意味をなしません。初めでもなく、終わりでもない、では今ですか。

田村:あらっ(笑い)。

市川:それで、意味あるように言い換えると、神は初めであり終わりである、すなわち、神は歴史のすべてを、万事を同時に知っておられる、関わっておられるということです。神は天地を、万物を創造されましたが、そのときに既にその行き着くところ、その終局・完成を同時に知っておられる、見ておられるということです。

田村:なるほどね。

市川:旧約聖書の最初の書、創世記に、天地創造の記事があります。

田村:はい。

市川:神は6日間でこの天地と自然と人間を造り、7日目に休まれたとあります。

田村:はい。

市川:この6日間と7日目はセットです。神は万物をその完成に至らせるべく、創造されたということです。完成のない創造とか、創造されないのに完成するなんてことはありません。

田村:そうですね。

市川:創造から完成に至るまでの神の導き・守り、神の支配、それが摂理なんです。

田村:なるほどね。造りっ放しとか、無目的に造るなどということではな、完成を目指した創造ですね。

市川:完成を取り込んだ創造と言ってもいいでしょうね。私たちには時間の流れ、歴史の変化・発展は避けられません。始めは始め、終わりは終わり、過去は過去、未来は未来、今は今ですが、神様にあっては、すべては今であり、もう完成している訳です。神様にあっては既に完成しているその状態に、私たちが確実に入れられて行く、それが神様の摂理なんです。単純に言えば、創造から完成までのすべての神のお働き、それが摂理です。

田村:天地創造とか人間の歴史などと大きなスケールのことを仰いましたが、私の人生、私の信仰生活というふうにもっと狭めて、あるいは特定化して考えてもいいですね。

市川:仰るとおりです。そのほうがもっと馴染みやすいというか、摂理を身近に感じられますね。

田村:この人生、私の一生も、神様が必ずその完成に向けて確実に導いてくださるということですね。

市川:よく、なるようにしかならんとか、なるようになれなどと言いますね。

田村:諦め、投げやりですね。

市川:この世界が、この私の人生が偶然の産物なら、そう言うしかないのですが、神様の摂理の下に置かれている、神の摂理そのものであるという信仰があるときは、何が起こっても、もうダメだ、お手上げだというときにでも、神様の方を向いて、助けてください、何とかしてください、と叫ぶことができます。そして、何とかしてくださる、いや、神様が既に決めておられる、知っておられ、見ておられるその状態に至ると信じることができます。

田村:そうですね。これって、基本的に楽観的と言ってもいいのでしょうか。

市川:そうです。根本的にはそういうことですね。勿論、私たちの人生にはしばしば大きな困難があり、悩みや試練があるのですが、そして、それらは簡単に解決できませんが、でも、神様が既に終わりをご存じなので、それに至る最善の道を歩ませてくださる、いや、この試練が実はそうなのだ、と積極的に受け止めることができます。実際、嫌なことは嫌ですが、それから逃れられそうもないとき、もしこれから逃れたら、神様が私のために用意してくださっている祝福を逃すと思って、今、忍耐することができるというものです。

田村:そうですね。嫌なこと、たくさんありますけれど、皆、神様のお守りとお導きの中で起こること、私の祝福のために神様がお用いになるものですね。今日は、摂理について高所大局的にと言いますか、大づかみなお話しをしてくださいましたが、来週は少し突っ込んだお話しでしょうか。

市川:はい。摂理の基本的特徴と、旧約聖書と新約聖書に出てくる摂理の代表的な出来事をご紹介しましょう。

田村:市川先生、有り難うございました。ラジオをお聞きのあなたは如何でしたか。来週も市川牧師の「信仰直言」コーナー、神様の摂理・パート2をお送りします。来週も続けてお聞きください。

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