艱難から栄光へ

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聖書の言葉

わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。

新約聖書 コリントの信徒への手紙二 4章17節

宮﨑契一によるメッセージ

今、一つの聖書の個所をお読みしました。わたしたちの一時の艱難は、永遠の栄光をもたらしてくれるものだ、と書いてあります。

私たちの艱難、苦しみ悩むこと、そのことも、重みのある永遠の栄光に至るものだ、と書いてあるのです。私たちは生きていれば誰でも、艱難や困難の中で苦しみ悩むことがあります。そして、それが私たちが生きるということだと思います。私たちは誰でも、自分の目の前に悩ましい艱難のようなものがあれば、何とかこれが解決しないだろうか、この問題が好転しないだろうか、そのように考えると思うのです。一時の艱難は永遠の栄光をもたらしてくれるというこの聖書の言葉は、いろいろな苦しみの中に生きる私たちにとって受け入れやすい言葉なのかもしれません。

先日、NHKの「プロフェッショナル」という番組で、サッカープレイヤーの本田圭祐選手のことが取り上げられていました。ご覧になったという方もおられるかもしれません。

その番組を見ると、本田選手にはいろいろな困難が襲い掛かります。繰り返しけがをしますし、あるいは、なかなかチームがまとまって一つになれない、という現実にも直面させられていました。けれども、その中で本田選手は、そういう一時の困難に押しつぶされることなく、そのことも自分にプラスのものと受け止めて、情熱を持って努力をし続けていました。自ら困難に立ち向かって行くような姿がありました。

その中でやがて、けがから再び試合に復帰をすることになったり、最後には自分のチームがまとまって一つとなる、というある解決が与えられていました。そのように、弛まず努力をし続ける中で、ある一つの成果や解決が与えられていく、その番組はそのような内容でした。

こういう経験は、私たちの人生の中で大きな経験だと思います。困難に向き合っても、いつも努力をし続けて、ある成果や結果が与えられる。それを経験することができれば、私たちは生きることの充実を覚えると思います。本田選手の姿から、人が生きる姿について教えられたようにも思いました。艱難から栄光に至るような姿を、少し見たように思ったのです。

ただ、その中で改めて、今日の聖書の個所をもう一度思い出してみたいと思います。それは、今日の聖書の個所には、私たち人間の努力によるもの以上の喜びや幸せ、ということが書いてあるからです。確かに人間が、一つの目標に向かって弛まず努力し続けることは尊いものです。けれども、私たち人間が味わう本当の喜びや幸せは、神が私たちに与えてくださるものだと聖書には書かれています。

今朝改めて覚えたいのは、救い主イエス・キリストのことです。このキリストによってこそ、私たちの艱難も永遠の栄光をもたらすもの、であるからです。イエス・キリストは、私たち人間の全ての苦しみを担って、十字架にお掛かりになりました。キリストは、私たちの全ての艱難を担ってくださいました。

そして、キリストはそのまま十字架で死んで終わったという方ではありません。その背負われた全ての苦しみ、艱難に輝かしい勝利をされた方です。キリストは、三日目に復活してくださいました。聖書に書かれているのは、このイエス・キリストというお方は、私たち人間の深い苦しみを全て担ってくださったお方であり、その苦しみや艱難に輝かしい勝利を収められた方である、ということです。

聖書の信仰にとって一番の喜びは、イエス・キリストが私たちのために死んでくださり、また私たちのために甦ってくださったお方であることを信じることです。この信仰は、苦しみや艱難の多い私たちの人生を、本当にしっかりと立たせるものです。そして、もう自分はここで間違いない、この信仰に自分は生涯立ち続けていくことができる、もう他のことに迷い出ることはない、と思えるものです。そういう確信を持つことのできるものなのです。

私たちのために死んで甦ってくださったキリストを信じるのであれば、私たちに様々に襲い掛かってくる艱難も、一時の軽いものです。それは、イエスが死から甦られたように、比べものにならないほど大きな永遠の栄光に至るものなのです。

私たち人間の努力は、もちろん意味のあるものです。けれども、それは完全なものではありません。艱難の中で、もう頑張ることのできない時もあります。努力することのできない時もあると思います。私たち人間のやることには、いつも足りないところがありますし、弱さもあります。

けれども、このキリストへの信仰に生きるならば、私たちはどのような艱難や苦しみの中にあっても、それとは比べものにならないほどの大きな栄光を見ることができるのです。艱難の中にあって、なお喜ぶこと、感謝をすることができます。それは、イエス・キリストが私たちのために十字架と復活を進んでくださったからです。キリストへの信仰は、きっとあなたを新しくするものです。

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