死んでも生きる

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聖書の言葉

イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。生きて私を信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」

新約聖書 ヨハネによる福音書 11章25~26節

大野桂一によるメッセージ

今、ラジオを聞いて下さっている方のうちで、キリスト者の方は、その通りと信じておられますが、あなたはいかがでしょうか。

人類は有史以来総ての人が、100%死んでいるではないか。死んでも生きるなど、そんな馬鹿なことがあるか、と反論されるかもしれません。

そのあなたは、ご自分の死後は、全く無になり、虚しいものなると考えておられますか。それとも家族や友人のおられる天国に行きたいと望んでおられるのでしょうか。もし死後、全く無になるのであれば、天国に入るなど考えることは、幻想としか言えないのではありませんか。

現在日本では、100歳を超えた方も沢山おられますが、最近の医学では、人間の寿命は、ロウソクが次第に短くなって行くように、遺伝子情報が詰まっている染色体の末端にあるテロメアが、細胞分裂を繰り返す内に、段々と短くなり、60回余り繰り返すと細胞分裂は限界に達し、如何に長生きをしても120歳あたりが寿命の限界だそうです。

さて人はどのようにして存在し、死後はどのようになっていくのでしょうか。

約3500年前に出来た旧約聖書の創世記の一番初め、1:1「初めに、神は天地を創造された。」とあり、聖書によれば、天地宇宙総ては神によって創造され、1:27「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。」2:7「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」と人の創造が記されています。

霊なる神は、天地総てのものを創り、最後に人を、御自分の形に似せるために、土で人を形づくり、その鼻に神の命の息を、即ち霊性・魂を吹き込み、人は魂を持って生きる者となりました。霊性を与えられたのは、神が人と霊において交わるため、人が神の御心を行うためでした。

人に似た動物には、神は霊を吹き込まれず、動物は神のことは思わず、また、死後に思いを馳せることもないそうです。人だけが人格を持つ霊的な存在となり、霊性に置いて神に連なり、肉体に置いては自然大地に連なっているのです。

人の肉体は死後動物と同じように土に帰っていきますが、霊の命は、肉体の死にもかかわらず、なお生き続け神の懐に帰るべきものなのです。

人の命は一つですが、このように人の命は、肉的な命と霊的な命の二つの側面があるのです。

日本語で「生きる」「命」は、一つの単語しかなく、生きるとは肉体が生きることを主に意味します。しかし、新約聖書はギリシャ語で書かれ、命について、肉的な命と霊的な命と二つの別の単語があり、それを使い分けているのです。

本日の御言葉「私を信じる者は、死んでも生きる」とは、イエスを信じる者は、肉的命は死んでも、霊的な命は生きる。この世で生きている時も死後も、人は霊的な命を生きる事が出来、霊性に置いて神との交わりに生きることが出来ると言っているのです。

また、言葉の問題ですが、日本語で罪と言えば、主に法を犯す事を意味します。私は教会に行き始めた時、「罪人、罪人」と言われることに反発を抱きました。しかし、聖書の言う罪とは、法を犯す罪と言うより、人の根本的な罪、本来、神との交わりに生きる為に創られた人が、神を認めず、あたかも自分自身が神のように振る舞う、人が創られた目的からはずれた、的外れの生き方、これを罪と言います。神との交わりの無い生き方が罪と言われているのです。

神と交わりの無い、的外れの生き方で、どうして天国に入れるのでしょうか。

何故なら、天国とは神が支配されて、神と交わるところだからです。

残念ながら、私もあなたも生まれながらの私たち総ては、みんな神との交わりの無い罪を持って生まれてくるのです。従って神と交わりを回復する必要があるのですが、神は全く聖く正しく罪の無い方であり、罪のある私たちの方から、交わりを回復することは出来ないのです。私たちは神の掟を如何に忠実に守ろうとしても、神の掟を守りきることは出来ません。如何に修養を積もうが善行がなそうが、私たちの心にある自分中心のエゴの罪より離れることが出来ないのです。

神は、そのような私たちをなお愛され、神と交わりを断たれた私たちを救うために、2000年前、神の独り子イエス・キリストを、真の人としてこの世に遣わし、そして私たちの罪の総てを、イエスに担わせ、十字架に掛け、私たちの罪を処分して下さいました。神は、イエスが、私たちの罪の身代わりのために十字架にかかられたことを信じる者は誰でも、その人の罪は、既に処分済みであり、罪なき正しい義人とみなして、神との交わりを回復して下さるのです。

イエス・キリストを信じて、神との交わりを回復された人の肉的な命は、土に帰っても、霊的な命はキリストと共に生きるのです。生きていてイエス・キリストを信じる者は、決して死ぬことはないのです。再びイエス・キリストが来られる終末の時には、私たちの霊の命は体をも与えられ、霊の体をもって、神と共に生きるのです。

どうか、あなたご自身の物差しだけで神を見ないで、聖書の御言葉を素直に聴き、この御言葉を信じ受け入れ、死んでも生かされる希望に生きて下さる日が訪れますように、心より願っています。

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