神のご支配を人生の中に醸す

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聖書の言葉

また、別のたとえをお話しになった。「天の国はパン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」

新約聖書 マタイによる福音書 13章33節

赤石めぐみによるメッセージ

私は5年前から、味噌を手作りしています。大豆をやわらかくゆでて、塩と麹(こうじ)を混ぜて甕(かめ)に詰めて作ります。毎年、今頃のこの寒い時期に仕込んで、暑い夏が終わるまでゆっくりと発酵させます。赤ちゃんと一緒で、約10ヶ月。10月の初めくらいから食べ始めます。味噌は本来、そのくらい長い時間をかけて出来上がるものなのですが、何を混ぜているのか、スーパーのお味噌はとても短い時間で味噌に仕上げ、売りに出されているのだそうです。パンの発酵も、少し時間がかかります。けれども、大きなパン屋さんは、「イーストフード」というものを使って、早く発酵させてパン生地を作り、売りに出します。「早く、早く」と急ぐあまりに、体に悪いものを取り込んでいるのだとしたら、深刻な問題です。

イエス・キリストという人は、台所に立ったことがおありだったのか、時々、主婦のほうがぴんと来るようなたとえをおっしゃることがありました。先ほどお読みした聖書箇所は、そのようなお話の一例です。「天の国はパン種に似ている。女がこれを取って3サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」イースト菌などというものができたのはごく最近のことですから、イエスさまがこのお話をされた頃の「パン種」は、多分、ぶどうの実で作ったりする、今で言う「自家製天然酵母」だったはずです。酵母をおこしたことがおありの方はご存じだと思いますが、これにも、数日かかるのですね。パンを食べようと思ったら、酵母をおこす時間と、粉に混ぜて発酵させる時間と焼く時間を考えて、必要な時に食べられるように準備しておかなければなりません。

さて、「天の国はパン種に似ている」という言葉はマタイによる福音書に書かれていますが、この言葉が書かれている前後をよく見わたしてみますと、イエスさまのたとえ話がずらりと並んでいます。種まきのたとえとか、麦と毒麦のたとえとか、からし種のたとえとか。イエスさまはこのようなたとえ話を使いながら、「天の国」のことを私たちに教えようとなさいました。

「天の国」とはいったいなんでしょうか?私たちが死んだら行く「天国」のことだとしたら、皆が入れるように、大きくて広い方がいいと思うのですが、たとえ話シリーズを見ていますと、「天の国」が、からし種とか、麦とか、パン種とか、なんだか小さいものにたとえられているのですね。これはちょっと不思議です。イエスさまは別の福音書で、「わたしの父の家には住むところがたくさんある」(ヨハネ14:2)とおっしゃっていますから、天国は確かに大きいのです。ということは、マタイ福音書のたとえ話で言われている「天の国」というのは、小さいものにたとえられているのですから、大きいはずの「場所」のことを言っているのではない、ということになります。

「天の国」とは、実は、「神さまのご支配」という意味の言葉です。神さまが王さまで、私たち人間はこの王さまに従うべき民である、という関係性のことをさす言葉です。主なる神さまを自分の仕えるべき王とし、私たちがその民となる。そこに、天の国が現われます。ところが人間というものは、自分が王になりたがってしまって、神さまに自分を支配していただくことを軽んじるのですね。イエスさまがお生まれになったときもそうでした。「ユダヤ人の王」としてお生まれになったのに、イエスさまには場所がなくて、王にふさわしくない飼い葉おけに寝かされたのでした。救い主イエスさまがこられたのに、私たち人間はイエスさまを王としてお迎えせず、飼い葉おけに追いやり、また、十字架に追い込んでしまったのです。イエスさまは小さくされてしまいました。だから、イエスさまは「天の国」を小さいものにたとえられるのです。私たちが軽んじている小さなものに・・・。

でも、からし種にしろ、パン種にしろ、これはただの「小さいもの」ではありません。元は小さいけれど、小さいままで終わらず、大きくなるものです。パン種を「粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」イエスさまを王として自分の心にお迎えすると、やがて、自分の全体が大きく成長させられます。神さまのご支配というものが自分の中に広がって、人生の全体が、主なる神さま、王たるイエス・キリストにお仕えするものになっていきます。このように、「神さまのご支配」という意味の「天の国」は、膨れたり、広がったり、という拡張力を持っているものなのです。

この種は、人間皆に与えられました。皆、この種をいただいているのです。ですが、考えてみてください。パンを発酵させるときもそうですが、温度が低すぎると、なかなか発酵せず、膨れてきません。私たちの心が「神さまのご支配」というものに対して冷めてしまっていたら、それはなかなか発酵せずに、膨れる力を出し切れなくしてしまいます。私たちの心が凍るほどに冷たい心になっていたら、種は死んでしまいます。けれども、温度が低い、というだけなら、まだ望みはあります。長い時間をかけさえすれば、ゆっくりとですが、発酵は進みますから・・・。

教会員の皆さんのうち、ご家族やご友人の救いを、首を長くしてまっていらっしゃる方がたくさんおられることを私は知っています。どうぞこのパン種の発酵力を信じてください。祈り願っている方が神さまに対して冷めた態度をとっておられるとしても、「天の国」のパン種が力を失っていない限り、少しずつ発酵がすすんでいくはずですから。

また、ご自分の中で、神さまのご支配をなかなか受け入れられない方々、どうぞこのパン種の発酵力を信じてください。これはイーストフードのようなインスタントなものではありませんから、時間の経過を待つ必要があるのです。私たちはあまりにも気軽に、出来上がったパンや、出来あいの味噌を買うことに慣れてしまっているので、発酵の時間を待つことに耐えられなくなってしまっています。自分の中に平安が広がり、自分の成長が見えてくるまで、ときには、人生の終りまでかかることがあるのです。私たちは一生をかけて、神さまのご支配を人生の中に醸す者になりたいと思います。

「主よ、いつまでですか?」と問いたい時もあるでしょう。

でも、その日、そのときは、ただ神さまだけがご存じです。

♪讃美歌21「球根の中には」

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