聖書が教える住まいの片づけ方

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聖書の言葉

「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。戻ってみると、空き家になっており、掃除をして、整えられていた。そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を一緒に連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。」

新約聖書 マタイによる福音書 12章43~45節

赤石めぐみによるメッセージ

今年も早、半月が過ぎました。気持ちよく掃除した家で新年を迎えられ、今頃はどんな状態になっていますか。きれいなままキープされているか、早くもすっちゃかめっちゃかになり始めているか・・・。

ここ数年「断捨離」という言葉がよく聞かれるようになり、「断捨離」本、「片づけ」本が飛ぶように売れて、捨てることによる片づけブームが起きています。昨年6月、朝日新聞に『人生がときめく片づけの魔法』という本が紹介されていました。その見出しにあった言葉は「お片づけにこもる宗教観」。私はとっさに、「え、片づけと宗教が関係あるの?」と思いました。モノを片づけるだけで「意識」が変わり「人生全般」が好転すると説いていることから、そう書かれたのかもしれません。「片づけ」が流行る理由は、万物に神が宿るという日本人の宗教観があるので、掃除や片づけが、日本人にとっては祈りに価する行為だから、なのだそうです。「片づけは宗教行為なのかぁ」と初めて意識させられました。片づけられた状態の方が、心にも体にもよいことは知っていますが、でも、片づけを、クリスチャンとして何か特別な宗教的意識を持ってしたことはあったかなぁ、と考えさせられました。

で、聖書には片づけのことがどんなふうに書かれていただろう?と興味がわきました。それで、最初にお読みした箇所を思い出したのです。お聞きになって、おかしいと思われませんでしたか?「掃除をして、整えられていた」のに、汚れた霊が自分よりも悪いほかの7つの霊を連れて来たから、前よりも悪くなったのです。

「掃除をして」とは、もちろん汚れを掃き清めることです。「整えられていた」という言葉は、コスメティックの元の言葉らしいのですが、他の翻訳では「飾りつけがしてあった」となっています。ですから、顔でいえば、洗顔をして、お化粧もしてあった状態、家でいうならば、ただ掃除しただけでなく、家具を置いたり、カーテンをつけたりして、住めるようなしつらいを施してあった、ということです。掃除をしてきれいにしてあったのに、汚れた霊が戻ってきて、更に悪い状態になった、というのはいったいどういうことなのでしょうか。

聖書の中に「住まい」という言葉がよく出てきます。けれども、聖書の「住まい」は、私たちの住む家・建築物としての家を指していません。たいていの場合、私たちの体のことを指しています。「私」というのは霊の存在で、体を住まいとしている、という感覚です。ところが私たちの霊は罪に陥りやすく、神さまからいただいている恵みへの感謝をどこかに置き忘れ、悪い思いばかりがあふれ、人に病的だと言われてしまうような心の状態になっていってしまう傾向にあります。本来の心のあり方が失われ、悪い霊・汚れた霊だらけ状態になってしまうのです。

自分では片付けられないほど物だらけの家の場合、片付け名人にお願いするようですが、私たちの住まいも悪い霊・汚れた霊だらけになっている場合には、誰かにお願いしなければなりません。そんな状態を救ってくださるのが、「自分を捨て、自分の十字架を背負って私に従いなさい」と教えてくださったとおり、私たちの罪の身代わりとして十字架にかかり、自分の思いではなく、神さまの御心がなるように、と究極の「捨」をやってのけたイエス・キリストです。

今日の箇所の冒頭をどうぞ読み飛ばさないでください。「汚れた霊は、人から出て行くと」とあります。イエスさまが、汚れた霊を全部その人から追い出してくださったので、汚れた霊はその人から出て行かなければならなくなった。では、汚れた霊を追い出してもらったその人は、イエスさまが心を掃除してくださり、次には自分の霊がちゃんと生きていけるように、すぐに住める状態にしつらえてくださっていたのに、(その人は)いったいどこへいってしまったのでしょう?「空き家になっていた」とありますから、自分がちゃんと住んでいなかったのです。それで、せっかくの住まいを、また汚れた霊に乗っ取られてしまいました。

モノに囲まれている生活をしている人は、あんまり何にもない部屋に行くと落ち着かないそうです。それでまたモノに囲まれた状態に戻ってしまう。がらんとした部屋に、一人でいるのもさびしい。私たちの霊は、自分ひとりだけで、清められた状態のところで暮らすことがうまくできません。イエスさまが私たちを苦しめる悪い霊・汚れた霊を全部追い払って、清い状態にしてくださるのに、私たちは清い状態をどう生きたらよいのか、自分だけではよくわからないのです。

それで、イエスさまは、私たちが一人で困らないように、助け手として聖霊を送ってくださいました。聖霊が、清められた私たちの体の中に、私たちの自分の霊と一緒に住まってくださるのです。イエスさまが掃除して、しつらえてくださった住まいに、私たちが聖霊を迎え入れて住まわせ、その助けによって新しい自分を生きるなら、悪い霊・汚れた霊が戻ってくることはありません。共に住んでいる聖霊が、それらが入ってこないように守ってくださるからです。

これが聖書の言う、私たちの住まいの片づけ方と、片づけた後の生き方です。この生き方をすると、実際の住まいのあり方も変わってくると思います。クリスチャンの家に行かれた方は、次のような言葉が書かれている壁飾りをご覧になったことがあるのではないでしょうか。「キリストは、この家の頭。全ての食卓の見えざる客、全ての会話の静かな聞き手」。家の中にいつもイエスさまがいらっしゃるつもりで生活しているなら、掃除の仕方や、食事の出し方や、家族に対する物の言い方までも変わってくるはずです。

新年はまだ始まったばかり。私たちの住まい、心と、生活空間との両方に、イエスさまをもう一度お迎えしなおしましょう。そうして、いつも住まっていただいて、私たちが新しい自分を、与えられた住まいで、生き生きと生きるならば、この1年はとてつもなくすばらしい1年になると思います。

♪讃美歌352「あめなるよろこび」

(2)いのちを与うる主よ、とどまりて

われらの心をとこ宮となし

あしたにゆうべにいのりをささげ、

たたえのうたをばうたわせたまえ。

(訳)

いのちを与えてくださった主よ。とどまって、私たちの心を常宮(とこみや、いつまでも変わらずにある神殿)とし、そこで私たちに、朝に夕に、あなたへの祈りをささげさせ、あなたを称える歌を歌わせてください。

(私たちの心が、悪い思いではなく、神さまへの祈りと賛美で、いつもあふれていますように。)

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