神から恵みをいただいたマリア

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聖書の言葉

「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」

新約聖書 ルカによる福音書 1章30~33節

袴田清子によるメッセージ

救い主、主イエスの誕生はマリア抜きには語れない出来事です。マリアはダビデ家のヨセフのいいなずけでした。当時男性は13歳で成人し、女性は12歳が結婚適齢期とされていました。つまりマリアは中学校1年生ぐらいの年齢であった、ということになります。二人は未だ一緒になっておらず、マリアは「男の人を知らなかった」と記されています。

「おめでとう恵まれた方。主があなたと共におられる。」天使ガブリエルは最初に、このようにマリアに語りかけました。「主があなたと共におられる」という言い方は、旧約聖書において、神様の特別な力づけ、神様の特別な助けを保証する言葉でした。それゆえに、マリアはその言葉にひどく戸惑い、「この挨拶は何のことかと考え込んだ」と記されています。

天使は言いました。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。」

まだ乙女であったマリアが「身ごもって男の子を産む」と言うのです。そして生まれる子の名前は「イエス」と付けなければならないと言うのです。天使は、更に驚くべきことを言いました。

「その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。」その子は、いと高き神から「わたしの子」と唱えられると言うのです。

更に「神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」と、天使は語ります。

「ダビデ」とは、初めてイスラエル12部族全体を統一し、王国を建てた、王様の名前です。神様はそのダビデ家を永遠に長らえさせるという“ダビデ契約”と呼ばれている約束を、ダビデとの間に結ばれていました。今は完全にローマの支配下にいて、イスラエルには久しく王様が途絶えていましたけれども、信仰のある人達の間では、その契約に従って、神は自分達を救い出す「メシア」を与えて下さると信じられていました。そして、この天使の言葉は、生まれてくる「イエス」と名付けられるお方こそ、永遠にイスラエルの家を治める王で、「その支配は終わることがない」と語ったのです。

マリアは「どのようにそのことは起こるのですか、私は男の人を知りませんのに」と尋ねます。すると天使は答えます。

「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから生まれる子は聖なるもの。神の子と呼ばれる。」

聖霊がマリアの上に臨み、神の力が上に留まり、マリアに臨在する。即ち、身ごもりから出産まで、全ては、聖霊なる神の御業の中にあるのだ、というのです。聖霊なる神が臨在して下さり、全てを成して下さるので、生まれる子は聖い者である。聖い神の子と唱えられるというのです。

天使は励ましを与えるために、老齢で子供の出来ない体だったエリサベトの身ごもりを伝えます。そして「神に出来ないことは何一つない」と語ります。

マリアは、自分は主のはしためです。だから、神様のお言葉のとおりに、自分の身になりますようにと答えています。

マリアはそのままに天使の言葉を受け止め、神の前に謙っています。彼女には清さと、つつましさがあり、その返答には、真の神への信頼から来る、しなやかさと強さがあります。

しかし、神様から恵みを頂くことと、苦難を引き受けることは切っても切れない関係にありました。神が共におられ、聖霊がマリアの上に臨在することは、この上ない恵みを経験することではありましたが、同時に大きな使命と責任を背負うことでもありました。ヨセフの愛も世間の信望も失い、一生を棒に振りかねない苦難でありました。多くの人に理解されないまま生きるという可能性もあったことでしょう。

しかし、それは自分のための苦難ではなく、神のための苦難でありました。それは神の栄光のための苦難です。神御自身がなさろうとしておられる事柄に、参与させて頂くために避けられない苦難で、必ず神が知っていて下さり、後で報いて下さるものでした。

救い主、主イエスは「このマリア」の胎に宿られました。インマヌエル「神は私達と共に居ます」と言う出来事が現実となり、「神が」「人となって」私達の間に住まわれたのです。

この神の御子、イエス・キリストは、地上でのお働きの最後に、私達の罪の呪いと罰を、たった御一人でお引き受けになりました。そして人間が堕落して以来、父なる神の御計画であった、神御自身の御子によって世を救うと言うことを実現されました。主イエスはたった御一人で、十字架に掛かり、私達のために死んで下さいました。それは御自身の罪のない完全な犠牲によって、私達の罪が赦されるためです。

神は私達に対する御自身の愛を、独り子を私達のために与えるという形で、完全に示されたのです。

わたしたちが神を愛したのではなく、神が私達を愛して、私達の罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに(神の)愛があります。(ヨハネの手紙一4章10節)

今日、この神の与えて下さる、新しい霊的な命が、皆様の上に現実のものとなるように、心より切にお祈りいたします。

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