インマヌエル

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聖書の言葉

「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる』という意味である。」

新約聖書 マタイによる福音書 1章23節

吉田謙によるメッセージ

イエス・キリストのもう一つのお名前はインマヌエルというお名前です。これは、「神様が私たちと共にいて下さる」という意味です。神様がどんな時でも、私たちと一緒にいてくださる、これほど大きな慰めはありません。

皆さんは、アムネスティーという団体のことを御存じでしょうか。アムネスティーとは、宗教や政治についての信条の違い、また人種の違い、皮膚の色の違い、そのような本来理由とはならないような理由の為に捕らえられ、牢獄に入れられ、時には拷問を受けている人々を、ただよろん世論の力によって救い出そうとする団体のことです。具体的には、そのようにして囚人となっている人々の為に手紙を出すのです。その国の大統領を初めとして、その囚人の逮捕・監禁に関係している閣僚、官僚などに手紙を書き、その囚人の無実を訴え、釈放を要請するのです。一人の囚人の為に全世界から、何百、何千、時には何万通もの手紙が送られるそうです。

そのようにして釈放された元囚人からアムネスティーに、感謝の手紙が届くことがあります。その内のある一通の手紙、コンスタンチーノという人から送られて来た手紙を紹介いたします。

「何年も私は狭苦しい牢獄につながれていました。私の接触する人間といえば、拷問をする人々だけでした。この2年半というもの、人の顔はもとより、緑の葉っば一枚も見る事がありませんでした。クリスマスの前夜、独房の扉が開けられ、見張りがくちゃくちゃになった紙切れを放り込みました。紙にはただ、『コンスタンチーノ、勇気を持って下さい。私はあなたが生きているのを知っています』と書いてありました。この言葉が私の命を救い、私の正気を保たせたのです。8カ月後に私は自由の身となることが出来ました。」

「私はあなたが生きているのを知っています!」この言葉が、毎日の拷問の中で、絶望の淵にいたこの人を救った、と言うのです。恐らく、アムネスティーのメンバーの一人が、看守に頼み込んで、そのメッセージが書かれている紙切れを投げ込ませたのでしょう。「私はあなたが生きているのを知っている」「あなたが今、そこにいるのを知っている」「あなたが、そこで苦しみを受けているのを知っている」その言葉が、この囚人を慰め、新たな力を与え、希望を与え、その命を救ったのであります。

このことから考えてみますと、この人が受けた最大の拷問とは、自分は人々から忘れ去られた存在なのだと思わされたこと。もう、いてもいなくてもどうでもいい存在なのだと思わざるを得ない、そういう環境に置かれたということでしょう。外の世界との交渉を全く絶たれ、毎日、暗く惨めな牢獄の中で時を過ごす内に、この人は自分が世界から全く忘れ去られた存在であると、だんだんと考えるようになっていったのです。そして、その考えが、いつもこの人を襲い、この人を絶望の淵へと追いやっていったのであります。

勿論、皆さんはこのような拷問を受けたことはないと思います。けれども、この時のこの人の思いを、私たちも、ある程度は理解できるのではないでしょうか。私たちも、大なり小なり孤独を知っています。この自分の苦しみ、悲しみを誰にも判ってもらえない、そういう孤独です。自分一人が暗闇の中に、絶望の中に、とり残されたような思いがする、そういう孤独を、きっと誰もが体験しているのだと思います。

もう既に亡くなられた方ですけれども、森有正という信仰に生きた哲学者がいました。彼の言葉の中にこういう言葉があります。「人間というものは、どうしても人に知らせることが出来ない心の一隅(いちぐう)を持っております。醜い考えがありますし、また秘密の考えがあります。またひそかな欲望がありますし、恥がありますし、どうしても他人に知らせることの出来ないある心の一隅というものがある。そこでしか神にお目にかかる場所は人間にはない。人間が誰はばからずしゃべることの出来る観念や思想や道徳や、そういうところで人間は誰も神に会うことは出来ない。人にも言えず、先生にも言えず、自分だけで悩んでいる、また恥じている、そこでしか人間は神に会うことは出来ない。」

私たちも、そういう孤独を知っています。そして、そういう孤独の中で、人は神様と出会うのだ、と言うのです。

コンスタンチーノは、「私はあなたが生きているのを知っています」と書かれた紙切れが与えられ、その言葉に勇気づけられ、励まされて、新しく生きる力を見出しました。それと同じように、今、神様は私たちにも語りかけて下さいます。「私は、あなたを知っている」「あなたの苦しみを知っている「あなたの悲しみ、あなたの悩み、あなたが抱いている不安を知っている」「あなたは決して一人ではない」「私があなたと共にいる」と。

最後に、「わたしが共にいる」という題の詩をご紹介いたします。ある牧師夫人がガンに冒されて、夫と4人の子供を残して43歳の若さで亡くなられました。本当に辛かったと思います。本当に心残りだったと思います。しかし、彼女は、最後の最後まで、今、与えられている恵みを、一つひとつ数えながら、最後は「43年間生きてきて、とても楽しかった!とても面白かった!」こう言って、平安の内に天国へと旅立たれたのであります。これは、その方が天に召される直前に書かれた詩です。こういう詩です。「わたしが共にいる。治らなくてもよいではないか。わたしが共にいる。長患いでもよいではないか。わたしが共にいる。何も出来なくてもよいではないか。わたしが共にいる。それでよいではないか。ある晩、キリストがそう言って下さった。」

神の独り子であるイエス様が私たちと共にいて下さるならば、どんな激しい人生の嵐の時でも耐えることが出来る。希望を抱くことが出来る。インマヌエルなるイエス様が、ラジオをお聞きのあなたと共にいてくださいますように。

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