弱さの中で強い!

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聖書の言葉

すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。

新約聖書 コリントの信徒への手紙二 12章9節

宮﨑契一によるメッセージ

聖書の言葉の中には、なかなか私たちが受け入れることが難しいようなことがいくつも書かれています。聖書の神を信じて生きることは、キリストによって私たちが、それまでとは全く違う新しい者とされて生きることです。

今日の聖書の個所を見ると、神は、「わたしの恵みはあなたに十分である」と語りかけています。ここは、誰でもそのまま受け入れやすい言葉ではないかと思うのです。神の恵みはあなたに十分にあるのだ、ということです。

けれども、続けてこうあります。この神の恵み、力は、あなたの弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ、ということです。あなたが強く、誇らしく、大きくあるということではなくて、むしろ、あなたの弱さの中にこの神の力は発揮するというのです。だからこの力がわたしに宿るように、むしろ、大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう、ということまでこの聖書の個所では言われています。

私たちは、普段の生活の中で、自分自身が大きくなること、自分自身を誇りにすること、そういうことを本当によく考えると思います。自分自身がどうやったら他の人よりも良く見えるか、良く思われるか、どうやったら自分という人間が誇らしくなるのか。私たちはいつも、気がついてみると、自分が大きく強くあることを考えているのではないかと思うのです。

他の人と比べてみて自分が強い、大きいということが分かれば、私たちは安心して良い気分になることがあります。自分は大丈夫だ、このままの自分でやっていける、と思います。どんなに謙虚な人であっても、自分が大きく強く生きることの関心は頭からは離れません。そういう現実が、私たちにはあると思うのです。

結局は、こういう自分、自分、という自分への関心が頭から離れないと思うのです。自分のことを中心に考えて生きていくこと、これは私たちにとって魅力的な生き方のように見えるかもしれません。けれども、結局はその行き着く果てには、ただ空しさがあるだけではないか、そこに救いは無いのではないか、と聖書は語るのです。

その中で、聖書が私たちに教えていることがあります。それは自分、ということではなくて、神、という聖書の神のことをまずは見る生き方です。私が何をした、私がこのことをした、ただこのことで精一杯になるのではなくて、神が、私たちに何をしてくださったのか、このことに目を向けようということです。聖書の中には、この神が私たちにお与えくださった救いのことが、書かれています。

聖書の中にある、神が私たちに与えてくださった救いは、イエス・キリストです。神様が、何よりも私たちに与えてくださっているのはこのイエス・キリストなのです。ですから大切なことは、聖書を通してこの神が与えてくださったキリストという救いを知ること、これがいつも大切なことです。

私たちは、どうやったら自分が弱いことを喜べるようになるのでしょうか。あるいは、自分が弱くあることが、誇りのようにさえなるのでしょうか。それは、イエス・キリストを見ることです。イエス・キリストというお方は、何よりも御自分が弱さの中に置かれた方です。神の御子であるお方が、十字架という刑罰を自ら引き受けて、それを受けられました。それは、いつも自分が大きくありたいと思う、そういう人間の弱さや汚い部分、人間の罪を全てその身に背負うためです。そのために、キリストは最も弱くなられました。

そして、人間の全ての罪を背負った十字架のキリストの、これ以上無い弱さ、その中にこそ、神の力は十分に発揮されたのです。キリストは、十字架の死を打ち破って甦られたのです。そして、この方は今も生きて、私たちの救いのために働いておられます。

私たちは、自分たちの生活の中で、自分自身が力を失うような時があるはずです。自分は駄目だ、そのように思わされる時があります。自分自身が、何か打ち砕かれたような思いになることがあります。本当に自分は小さく、弱い、そう思わされる時があると思うのです。ラジオを聞いておられる皆さんもそうではないかと思います。

けれども、そういう弱い時にこそ、私たちには本当にキリストの姿が分かると思うのです。イエス・キリストが見えて来ると思うのです。主イエス・キリストが、私たちのために限りなく弱くなられ、死んでくださったこと。けれども、そこにこそ神の力は十分に発揮され、キリストは復活をなさって、私たちの救いとなってくださった、このキリストがはっきりと見えると思うのです。

もう自分は駄目だ、と人間が匙を投げるところから、救い出してくださるのが聖書の神です。私たちが何か自分たちの人生の中で、行き詰まりを覚える時、自分の小ささと弱さを知らされる時、それは聖書の神があなたを招かれる時です。私たちのために限りなく弱くなられた、キリストを知る時です。このキリストを信じて生きる歩みを、心からお勧めしたいと思います。

私たちはキリストを知る時に、自分が弱い者であることを喜ぶことができます。自分は弱いけれども、キリストが自分の中で大きくなり、生きる力となってくださるからです。私たちは、いろいろと自分たちの求めているもの、欲しいもの、そういう欲求や欲望があります。けれども、神がまず私たちにお与え下さっているのはキリストなのです。

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