いつものとおり

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聖書の言葉

ダニエルは王が禁令に署名したことを知っていたが、家に帰るといつものとおり二階の部屋に上がり、エルサレムに向かって開かれた窓際にひざまずき、日に三度の祈りと賛美を自分の神にささげた。

旧約聖書 ダニエル書 6章11節

宮﨑契一によるメッセージ

10月となりました。この放送を録音しているのは9月ですけれども、まだまだ暑い日が続いています。今年の夏は、4年に一度のオリンピックがありました。特に今年のロンドンオリンピックでは、連日のように、日本人選手のメダル獲得のニュースが流れていました。私もメダルラッシュに興奮して、ついつい寝る間を惜しんで放送を見ていたことを思い出します。

このオリンピックの時に、度々言われていることがあります。それは、「オリンピックには魔物がいる」ということです。他の大会では結果を出していた優勝候補の選手が、オリンピックの舞台になると、実力を発揮できなくなる。そういうことが、今回もありました。4年に一度のオリンピックという大舞台です。みんなが、そこで自分の力を発揮するためにずっと準備をし続けて来た特別な大会。そういう中で、自分の周りにある多くの緊張や不安、プレッシャーを覚えて、本来あるべき自分、いつもどおりの自分でいられなくなったと思うのです。

もちろん、このラジオを聞いておられる全ての方が、オリンピックに出るということはありません。ただ、私たちは自分たちの日常の中でも、何か自分たちの周りにいろいろなことが起こる中で、いつも通りの自分、本来あるべき自分ではいられなくなることがあるのではないでしょうか。自分たちの身の回りのことや、これから先のことをいろいろと考えてみると、不安を覚えたり、緊張を覚えたり、恐れたりすることがあると思います。

自分たちの身の周りに起こるほんの些細なことにも慌てふためいてしまって、いつも通りの自分ではいられなくなることがあると思うのです。そのように、日常生活の中でも、何か自分自身が崩れて行く、そういうことが私たちにはあるのではないでしょうか。自分たちの日常生活の中にも、魔物のようなものが潜んでいる、こう言っても良いかもしれません。私たちは世の中に生きる中で、変わることなく、自分たちを本当に確かに生かすもの、そういうものを必要としていると思うのです。

先ほど、お読みした聖書の中には、いつも通りの生活をしたダニエルという人が出て来ます。彼はいつも通りに何をしたのかと言いますと、祈りと賛美を神にささげた、ということが書いてあります。ところが、この時のダニエルの状況は、とてもいつも通りに過ごせるような状況ではなかったのです。彼は、もう自分の命が奪われてしまう、そういうこれ以上無い危険な状況の中にありました。ダニエルは、彼を陥れようとする人たちに目を付けられてしまいまして、彼はライオンのいる洞窟に投げ込まれることになります。

けれども、ダニエルはその時も、いつも通りのダニエルでした。いつも通りに、神に祈りと賛美を献げました。なぜダニエルは、自分の命が奪われそうな一番危ない時も、いつも通りでいられたのでしょうか。それは、聖書の神という方が、いつも通りのお方、変わることのないお方だからです。この神が、変わることなく、ダニエルを支え、ダニエルを導き、生かしてくださったからなのです。

聖書の中には、「主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない」という言葉があります。神の私たち人間への慈しみと憐れみは、決して尽きない、というのです。これこそ、いつも弱く、いろいろなことに恐れ、慌てふためくことのある私たちを変わることなく生かすものです。この神への信仰が、たとえ命の危険の中にあってもダニエルをいつも通りに、またダニエルが確かに生きることへ導きます。

聖書の神は、私たちが心から依り頼むことのできるお方です。私たちの身の回りには、本当に予想外のこととか、思いがけない出来事、病気のことが日々起こります。私たちはそのことを考えると、いつも通りではいられなくなるような思いもします。けれども、どのような時も、私たちが心から信頼できるお方、いつも通りに祈りと賛美をささげることの出来るお方。それが、聖書の神です。

神様の私たちへの慈しみ、憐れみは決して尽きるものではありません。神は、私たちのために、愛する独り子イエス・キリストを与えてくださいました。苦しみと悩みの中にある私たちを救い出すために、御自分の愛する独り子さえもお与えくださったのです。聖書の神というお方はこのように、私たちの救いのためには全てのものを与え尽くされるお方なのです。これが聖書の神です。

聖書が語っている私たち人間の姿は、あまりにも不確かです。そして、不確実な存在です。自分には神などいらない、自分だけでしっかりと確かに人生を生きていこう、ということには限界があります。その中で、聖書が語っていることは、私たちが不確かであっても、聖書の神はあまりにも確かなお方だということです。この神様の私たちへの愛、私たちへの思いは、量り知ることのできないものです。

このラジオを聞いておられるあなたが、自分の周りに起こるいろいろなことに不安や恐れを覚える時、是非教会へと足を運んでみてください。神はそのような弱いあなたを愛し、導こうとされます。その神に心から信頼して、あなたもどのような時も変わることなく生きることができるのです。

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