思い出の讃美歌

ラジオ放送 キリストへの時間のトップページへ戻る

聖書の言葉

神よ。わたしを救ってください。大水が喉元に達しました。

旧約聖書 詩編 69編1節

城下忠司によるメッセージ

皆さんには、心にのこる歌・人生を左右させるような、心を揺さぶる思い出の「歌」があるでしょうか。

今朝は、私の心に残る1曲の讃美歌のお話をさせていただきたいと思います。

この一年あまり、多くの音楽家が東北に行っています。悲しみや苦しみの中にある人々を励まし、生きる希望を与えたいと、コンサ-トを開いています。たとえ直接現地の人たちと会って、励ましの言葉をかけられなくても、一曲の歌が被災者の方々の心を癒し、大きな励ましと生きる希望を与えている姿を眼にします。

洋の東西を問わず、音楽は人間にとっては無くてはならない大切なものです。ある新聞のコラムに「歌の旅人」というコーナーがあります。私たちを故郷やその土地の風土を思い出させ癒してくれる「歌」が紹介されています。この記事の中で、現代の世界的な音楽家である武満徹さんが「音楽で一番大事なのは歌だ」とおっしゃっていたことが記されていました。私も大賛成です。歌はその時代を大きく反映します。そして、思い出とともに励ましや慰めも与えてくれます。また生きる力をも与えてくれます。

私の生まれ育った土地は、高知市から西へ150km。四国の南のはずれ足摺岬にほど近い「清水」という田舎町です。今から120年ほど前この片田舎の、荒磯沿いに延々と続く狭い砂利道を、水と僅かな食料を自転車に乗せて、まだ見ぬ貧しい田舎町を目指す一人の宣教師がおりました。彼の名は、アメリカ長老教会より派遣された宣教師で「マカルピン」といいました。彼はこの陸の孤島ともいえる四国南西部の田舎町に「信仰の種」を蒔いて歩きました。

それから60年後。同じ砂利道を、やはりアメリカの教会より派遣された「ピーターソン」という宣教師が、自家用車で清水町へ向かっておりました。清水町での伝道のために来られたのです。丁度二十歳になってイエス様を信じたばかりの私は、その車に同乗して清水町の伝道にお供しておりました。狭い海に沿っての道を走りながら、「城下君、この讃美歌は清水の伝道にとても相応しい歌だと思います。」と言って、突然ピーターソン宣教師が歌い始めました。音楽大学を出ておられる先生の声はとても美しく、心に響きました。今でも私の耳にはっきりと残っております。その賛美歌は292番。

その3番にはこの様な歌詞があります。

《さしゆく浜辺まぢかくなりて

磯うつ波もさかまくときも

主よ水先のしるべしたまえ》

私たちの人生は、丁度小船に乗って航海し続けていると言えるでしょう。私もそろそろ人生航路の終わりが近づいてきました。いよいよ到着する浜辺が見えてきました。日本の気候、風土には必ず悲しみや苦しみを伴う災害が襲ってきます。この世の、果てしもない航海には、突然大嵐が襲ってきます。その時はいつか分かりませんが、皆が、無事に平安な港にたどり着けるでしょうか。初めにお読みした今日の聖書の個所『神よ。わたしを救って下さい。大水が喉元に達しました。』と歌う、この詩編は、死の門に近づいて深い悩みの中にあり、苦痛の中にある私たちを助け出してください。と神さまに訴え、祈っています。また、詩編32編では「あなたの慈しみに生きる人は皆、あなたを見出しうる間に、あなたに祈ります。大水が溢れ流れるときにも、その人に及ぶことは決してありません。」と歌われています。

思い出の歌は、私たちにこの世の恐ろしさの中で、常に人生を導いてくれる方が必要なことを教えてくれます。荒波の巌の中を、水先案内をしてくださる方はただ神の御子イエス・キリストであることを歌っています。母親がみどり子を静かに眠らせるように、主イエスさまも私たちを何時も見守ってくださると歌います。私たちに希望と平安を与えてくださるのは、主イエスさましかいないことを歌うのです。私たちの為に十字架の上で死んで、その死に勝利して下さった主イエスさまは、その死から甦られて、人生の航海を共に歩んでくださり、私たちを安全な港に導いてくださるのです。

荒磯の狭い道を、自家用車で走りながら歌って下さった、ピーターソン先生のお心は、まだ洗礼を受けて間もない私に、主イエスさまのことを、はっきりと教えて下さる為だったのです。この讃美歌は、今も私の心の中に、思い出の歌として留まり続けています。

関連する番組