救われるチャンス

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聖書の言葉

そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。

新約聖書 マタイによる福音書 4章17節

申成日によるメッセージ

いつか横浜におりました時、教会に泥棒が入ったことがあります。 いや、 むしろ泥棒を「入れた」と言った方が正確でしょう。 土曜日の午後のことでした。一本の電話が入りました。「わたしは今自殺しようとしています。 その前に牧師に電話を掛けてみようと思いました」ということでした。

「教会には様々な人が来ますので、 そのような話をまともに信じることはいけない」と言う方々もいますが、 「もしかして本当かもしれない」と思い、 教会まで来るように言いました。 彼はお金に困っているにも関わらず、 バスと電車に乗って教会まで来ました。

彼は大工さんで昨年の暮れから仕事がなくなり、 2ヶ月前からはホームレス生活をしたそうです。 しかし、 見た目はさほど汚くはありませんでした。 とにかく、 家まで連れて行って一緒に食事をし、 教会に一晩泊めることにしました。 わたしは万が一のため現金や通帳等を家にもって帰りました。

彼はわたしが仕事をしている間、 漫画の聖書を読んだりしました。 仕事を終えて明日は一緒に朝食を取り、 礼拝に出ることを約束して家に戻りました。 わたしは彼のことを信じることにしたのです。

翌朝、 食事に招くために教会に行きました。 しかし、 彼の姿は見当たりませんでした。 カバンもありませんでした。 布団は彼が寝ていた痕跡をそのまま残していました。 朝方に出ていたでしょうか。 「なぜ、 帰っちゃったのかな。 あんなに良くしてあげたのに。」 わたしはずっとそう思いました。

教会には何も盗まれてないと思いました。 しかしよく調べると、 食事代として集めた貯金箱の中身が空っぽになったことと、 通信用の切手が全部なくなったことが分かりました。 盗まれたのは、 総額1万円も足らないものでした。

わたしは悔しい思いと共に、 彼があまりにも可哀想だと思いました。 教会に留まっていれば、 いろんな人々に助けてもらい、 また、聖書の言葉を通して永遠の救いを得ることも出来たはずなのに、 本当に残念だと思いました。 彼はせっかく自分に訪れた救いのチャンスを僅かなお金で見逃してしまったのであります。

この世の中では、 自分に与えられたチャンスを見逃すことなくつかみ取り成功する人がいます。 けれども、目の先の欲張りで、 そのチャンスを見逃してしまう人も多くいるのです。

イエス様の主なメッセージは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」でありました。そのことを語るためにたとえ話をされたことがあります。

ある人が葡萄園にいちじくの木を植えました。 そして、 毎年この葡萄園に来ていちじくの実が出ることを楽しみにして待っていたのです。 しかし、 3年も経っているのにいちじくの木は実りませんでした。 主人は園丁に言いました。「もう3年もの間、 このいちじくの木に実を探しに来ているのに、 見付けたためしがない。 だから切り倒せ。 なぜ、 土地をふさがせておくのか」 そこで園丁が言います。「ご主人様、 今年もこのままにしておいてください。 木の周りを掘って、 肥(こ)やしをやってみます。 そうすれば、 来年は実がなるかも知れません。 もしそれでもだめなら、 切り倒してください」

たとえ話はここで終わっています。聖書では良く、 いちじくの木をイスラエルの民族、ユダヤ人になぞらえていました。 葡萄園に植えられたいちじくの木というのは、 葡萄園という栄養豊かな祝福された環境のなかで植えられたいちじくの木、 つまり、 神様の祝福の中にあるユダヤ人のことを言い表しています。

これだけ、 恵まれた祝福の中で特別に選ばれたユダヤ人たちは、 その実を結ぶことによって、 神に応えなければなりませんでした。 しかし、 彼らは実を結ぶことが出来ませんでした。 むしろ、ユダヤ人たちは、 神の恵みにも関わらず神を背く罪を犯しました。 神様は彼らの罪に対して、 猶予を与え、悔い改めの実を結ぶことを願っておられます。 その実を結ばなければ神はその木を切り倒します。 神の裁きです。 その時が来る前に悔い改めの実を結ばなければなりません。 今がそのチャンスであります。 なぜなら、 まだその日は来てないし、 その途中であるからです。

葡萄園の主人は、 3年も実を結ばないいちじくの木を園丁に切り倒すように命じます。 しかし、 園丁は主人に言います。「もう少し待ってください。 もっと木の周りを掘って、 肥料をやってみます。 1年だけ猶予(ゆうよ)をください。」という執り成しをします。

この園丁はだれのことを言っていると思いますか。 そうです。 イエス様のことです。 イエス様は神様に「そうですね。 こんなに実を結ばない木なら、 切り倒した方が良いですね。 早速、切っちゃいましょうか」と言う方ではありません。

イエス・キリストは、 裁きの日が来る前に、私たちが一日も早く悔い改めて立ち帰ることを待ちながら、神様に執り成して下さる方です。

今日最初に、 わたしを騙(だま)した一人の人の話をさせていただきました。 そのことがあった後、 母からある牧師の話を聞きました。 昔の話ですが、 ある教会に礼拝が終わると度々良い靴がなくなるという事件があったそうです。 そして、 いつも残っているのは小さい子どもの靴でした。 つまり、 犯人は子どもだったのです。

しかし、 牧師はその犯人を探さないように、 教会の人々に頼んだそうです。 なぜなら、 靴を盗むために何回も教会に来る内に、 神様と出会うチャンスが与えられかもしれないと言うことでした。

この放送を聞いておられるあなたは、このメッセージを聞いておられる今が、神様の恵みを頂くチャンスであります。どうか、 与えられたチャンスを見逃すことなく自分のものにするあなたになることを切に願います。

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