平和を実現する人々

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聖書の言葉

「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」

新約聖書 マタイによる福音書 5章9節

吉田謙によるメッセージ

今日は、イエス様の平和の教えを学びたいと思います。私たちは誰でも、平和に生きたいと願っています。戦いや争いを好み、わざわざそれを求めている人はいないでしょう。けれども、それは平和を実現し、つくり出すということとは違います。イエス様は「平和を好む人は幸いである」とは言われませんでした。「平和を実現する人々は幸いである」と言われたのです。

そもそも、人と人との間に争いが起こるのは、何故でしょうか。それは正義と正義がぶつかり合うからです。自分自身は正しくて、相手は間違っている。こういう主張がぶつかり合う時に、争いは深まっていくのです。しかし、イエス様の十字架の前に立たされる時に、私たちはもう自分の正しさを言い立てることが出来なくなります。イエス様は、他でもない私のために、手に釘を打たれ、脇腹を槍で刺し貫かれて、十字架の上で死んで下さいました。「私は正しく、相手が間違っている」そう言って憤慨している私たちの罪を、イエス様は十字架の上で黙って担われたのでした。

イエス様が実現された平和は、私たちが考え、実現しようとしている平和とは大きく食い違っていました。私たちは、争いや対立において、その争いを避けるか、あるいは争いに身を投じて、その中で自分の主張を通すか、あるいは相手の主張との折り合いをつけるか、そういう仕方で平和を実現しようといたします。けれども、イエス様はそのどれでもない、全く別の仕方で平和を打ち立てて下さいました。それは、相手の敵意をご自分の身に引き受けて死なれるということ、つまり敗北することによってでありました。しかもその敗北の中で、敵を怨むのではなくて、赦すのです。そして、もう敵意は滅ぼされた、と宣言するのであります。神の子イエス・キリストは、そのようにして、私たちの内に平和を造りだして下さいました。

私たちは、このイエス・キリストに従うことによって、少しずつこの平和を実現する者へと変えられていくのだと思います。それは争いを避けることでも、争いに勝利することでもありません。あるいは妥協することでもない。それは、その敵意を真正面から引き受け、赦すということです。そのことによって、私たちは、その敵意を乗り越えていくのです。

第二次世界大戦中、日本兵が米軍の捕虜だった頃、毎日熱心にお世話をしてくれたアメリカ人の看護婦さんがいたそうです。「あなたはどうして敵に対して、そんなに親切にするのですか?」と聞くと、彼女はこう答えたと言います。「私の両親は宣教師でした。しかしフィリピンで日本軍に殺されました。最初、私は、日本人に対する憎しみと怒りで胸が張り裂けそうでした。けれども、処刑されるまでの最後の30分を、両親は涙を流しながら日本人のために必死で祈っていたという話を聞いた時、私の心から憎悪がすっかり消えてなくなりました。私も両親の心を継ごうと決心したのです。」彼女は、両親の信仰に心打たれ、憎しみから解放されて、今度はむしろ日本人をこよなく愛するようになった、と言うのです。この話を、もと日本軍捕虜から聞いた淵田美津雄という人は、自らの罪を悔い改めて、やがてクリスチャンになりました。そして、更に彼は伝道者となって、日本中だけでなく世界中にキリストの愛を語るようになったそうです。この淵田美津雄という人は、かつて「真珠湾爆撃隊」の総指揮官をつとめた人でありました。終戦後、彼は、国際正義の名のもとに行われた戦犯裁判の中に、結局、これは法の名を借りた復讐ではないかという現実を見てとり、反感と憎悪で心が一杯になっていた、と言います。けれども、一人の平和を実現する女性の生き様が、そういう彼の敵意を見事に打ち砕きました。そして、打ち砕かれた彼によって、この平和のメッセージが世界中に届けられていったのであります。

このように世界の平和は、一人の人がイエス様に似る者、神の子となることから始まります。一人のアメリカ人女性が、両親の信仰を受け継ぎ、イエス様に似る者とされた時に、敵対していた多くの日本人が敵意を捨てました。また、この女性によって敵意を捨てた一人の日本人が、世界中に平和のメッセージを携えていきました。こうして世界中にイエス様に似る神の子が満ちる時に、初めて、本当の意味で、平和が実現するのではないかと私は思うのです。

今、多くの人々が、この世のやり方で、平和のために真剣に戦っています。これも非常に尊いことだと思います。何も私たちは、それを否定するわけではありません。出来る限り、私たちもそういう働きを支援していきたいと思います。けれども、平和を実現するために、まず私たちクリスチャンが最優先しなければならないことは、このラジオの放送を通してしているように、イエス・キリストの十字架の福音を宣べ伝えるということです。私たちは、それぞれの仕方で、このことに全精力を傾けていきたいと願っています。

最後に、アッシジの聖フランチェスコの「平和の祈り」を紹介いたします。こういう祈りです。

「わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。憎しみのあるところに愛を、いさかいのあるところに赦しを、分裂のあるところに一致を、疑惑のあるところに信仰を、誤っているところに真理を、絶望のあるところに希望を、闇に光を、悲しみのあるところに喜びを、もたらすものとしてください。慰められるよりは慰めることを、理解されるよりは理解することを、愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。わたしたちは与えるから受け、赦すから赦され、自分を捨てて死に、永遠の生命をいただくのですから。」こういう祈りです。この世界が、この祈りで満たされますように。アーメン。

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