絶えず祈り、どんなことにも感謝する

キリストへの時間のトップページへ戻る

聖書の言葉

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。

新約聖書 テサロニケの信徒への手紙一 5章16~18節

岩崎謙によるメッセージ

前回は、「いつも喜んでいなさい」に的を絞って御言葉に聴き入りました。「いつも」とは、「死と向き合う中にあっても、いつも」という特別なニュアンスを含んでいます。生きている限り、「いつも喜んでいなさい」です。いや、むしろ、喜んで死ぬことさえができる人生です。死の陰が迫ってきても、奪われることのない喜びに生きることです。

さて、今日は、その続きです。「いつも喜んでいなさい」は、「絶えず祈りなさい」、「どんなことにも感謝しなさい」とセットで語られています。ですから、聖書が一連のこととして語っているのに、祈らない、感謝もしない、しかし、いつも喜んでいたい、というのは虫の良すぎる話です。

昨年の夏に医療従事者の方々の修養会で奉仕を致しました。そこに、東北の被災地から来られた精神科の先生がおられました。高台にある病院は無事でしたが、津波が町を襲う悲惨な光景を目の当たりされました。写真をとられたそうですが、この光景を写真で後から見ると、立ち直りが遅れると判断した場合は写さずに、考えながらシャッターをきっておられたそうです。そして、震災直後、患者さんは動揺され、同僚の医者が体調を崩し、仕事量が格段に増えたとのことです。自分自身がノイローゼになるのではと案じられた、と語られました。そのようななかにあって、朝起きて、聖書を読み、祈る習慣が自分のなかにあったことが、どれほど大きな自分の支えであるかに改めて気付いた、とお話しくださいました。

聖書が語る祈りとは、「神の名」を呼ぶことです。どのような神に祈っているかも分からず、自分の願望を独り言のように心のなかで唱えることではありません。神港教会では、洗礼準備会で必ず、祈りの指導をします。今まで「神よ」と神の御名を一度も口に出して語ったことがない方が、祈ることを学ばれます。特に、「天の父なる神様」を呼びかけることを覚えてもらいます。神に「父よ」と呼びかけるとは、自分が「神の子」の立場にいることを表しています。神は、見ず知らずの者の祈りとしてではなく、我が子の呼びかけとして、わたしたちの祈りを聞いてくださいます。苦しみの中にあっても、神との交わりが与えられていることを感謝して、「神よ、助けたまえ」と神の名を呼びます。絶えず祈るとは、絶えず神を身近に感じていることであり、人に話しかけるにもまして、神に語りかけることです。

祈ることの次に、聖書は、「どんなことにも感謝しなさい」と勧めています。どんなことにも感謝するとは、常識では考えられない勧めかもしれません。しかし、視点を変えるなら、どんなことの中にも感謝できる何かが、必ず、備えられています。日本で最初にホスピスを始められた柏木哲夫先生の『生きること、寄りそうこと』という本に、治りやすいうつ病の人と治りにくいうつ病の人の比較が、記されていました。不眠と食欲不振に悩む同じ症状の方に、同じ薬を出したとします。その薬を飲むと、すぐによく眠れるようになりますが、食欲がでるには、少し時間がかかります。その薬を飲んだ患者さんは、二通りの応答をされます。

「先生、おかげさまで、よく眠れるようになりましたが、まだ食欲はありません。」

「先生、まだ食欲はありませんが、おかげさまで、よく眠ることができようになりました。」

この答えは、患者さんが、できていることとできていないことと、そのどちらに着目しているかを示しています。治りつつあることに感謝している人の回復は早く、治っていないことばかりを心配している人の回復は遅いそうです。

受験生やスポーツ選手など、競争社会に身を置いている人は、人に勝つためには、自らの弱点克服にエネルギーを注ぎます。しかし、死と向き合う人生の勝利者となるために大切なことは、どんな中にも感謝できることを見出し、そのことを神に感謝することです。

柏木先生の本に、周りの人に惜しまれつつ、周りの人に「ありがとう」と言って亡くなる患者さんのことが記されていました。その頁の締めくくりに、「周りに不平ばっかり言って生きてきた人は、不平ばっかり言って亡くなります。人は生きてきたように死んでいくのです。だから、良き死を死すために、良い生を生きなければならないと思うのです」とありました。

心鎮めて祈っていますと、不平ばかりを言っている自分に気付かされます。そして、罪ある者がキリストにより罪を赦していただき、また、欠け多き者でありますが多くの人の忍耐に支えられていますことに気付かされます。祈っているなかで感謝できることが示されていくとき、どのような中にあっても、喜びが心に立ち上がってきます。不平や愚痴を語ることは学ばずにもできます。しかし、感謝することは、祈りの習慣付けのなかで学ばないと身につかない、と感じています。

神が、キリスト・イエスにおいて、私たちに願っておられることは、いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝する、この三つが一つのこととなり、私たちの人生に実現していくことです。ラジオをお聞きの皆様、どうか、イエス・キリストを出会ってください。主イエス・キリストから、このように祝福された人生を受け取ってください。

関連する番組