必要を満たしてくださる神

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聖書の言葉

「だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。」

新約聖書 マタイによる福音書 6章31~32節

後藤公子によるメッセージ

今は、多くの人が働きたくても働けない就職難の時代だと言われています。決まった収入がないとき、私たちが一番心配なのは、果たして食べていけるだろうか、ということです。収入の当てがなければ、明日を迎えることさえ不安でたまりません。たとえ今健康で仕事に恵まれ、日々の必要が満たされていたとしても、ずっと働けるとは限りません。病に倒れることもあるでしょうし、高齢になったり、何か別の事情で働くことができなくなるかもしれません。今している仕事を失うかもしれません。家族が思いがけない病気に倒れることがあるかもしれません。災害で全財産を失うかもしれません。

イエスさまに従って行く決心をした弟子にとっても、この問題は切実でした。彼らはそれまで就いていた職業をあとにし、イエスさまに従い、フルタイムで伝道する者となりました。もう収入を得る道は閉ざされたのです。人間的に考えるならば、そこに大きなリスクがあるのは当然です。彼らには家族もありました。日々の生活の糧についての思い煩いや、何が起こるかわからない将来に対する不安があったことは想像に難くありません。

そのような不安や思い煩いを抱えている弟子たちに、イエスさまは次のようにおっしゃいました。「だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。」

イエスさまは、なぜ、弟子たちが日々の必要に関して思い悩むことを禁じられたのでしょうか。「だから」という前置きの言葉に、そのヒントがあります。実は、すぐ前の個所で、イエスさまは空の鳥のことを例に挙げておられます。空の鳥は、人間のように、種まきも、刈り入れもせず、またそれらを倉に納めることもしない、しかし、あなたがたの天の父は養って下さっているではないか、と言っておられます。天におられるあなたがたの父は、そんな小さく人間よりはるかに価値のない鳥を養っておられる、それなら、神の子たちに、それ以上に良くして下さらないはずはないのだ、と言っておられるのです。種まきや刈り入れ、また収穫は、当時一般に行われていた生活の糧を得るための代表的な営みでした。特に、男性は家族を養うために、野畑を耕し、種をまき、時が来たら、刈り入れをし、倉に納めます。天の父が、価値の低い鳥を養っておられるなら、鳥よりもはるかに価値のあるあなたがたに、それ以上に良くして下さらないはずがない、というのがイエスさまの論理です。

また、野に咲いている花を指して教えられました。なぜ、何を着ようか、と衣服のことで思い煩うのか、今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の花でさえ、神さまは、美しく装って下さっているではないか、と弟子たちに言われました。野の花は、働く、紡ぐということをしないのに、神さまはそれほど美しく装って下さっているのです。紡ぐというのは、当時婦人の仕事でした。家族の着るものを婦人たちは紡いで造りました。今日勢いよく生えていても、明日は枯れてしまい、炉に投げ入れられて燃やされてしまう、価値の低い野の花さえ、天の父は、それほど美しく装って下さっているのなら、なおさら、霊の子どもたちに、それ以上に良くして下さらないはずはないのです。だから、日々の必要に関して、弟子たちは決して思い煩ってはならないのです。

ここでイエスさまは、神さまをあなたがたの父と呼んでおられます。私たちに必要なのは、日々の必要を備えてくださる父なる神に対する子どもとしての信頼です。イエスさまは、幼子を抱きあげられ、だれでもこの幼子のようにならなければ、神の国には入れない、と言われました。幼子は、親が食べ物をくれるだろうか、などと思い悩みません。信頼しきっています。いつも親は必要に配慮してくれていると信頼して、決して疑わないのです。「何を食べようか」「何を飲もうか」「何を着ようか」と言って思い悩むのではなく、日々の必要に関しても信仰を働かせることが、神の子とされた者には必要なのです。

神を信じていない異邦人は、この天の父を知らないので、日々の必要に関して思い煩い、生きるための糧を得るためにあくせくします。それは当然のことです。しかし神の子は、父なる神に、それらの必要に関して、幼子のように信頼することができるのです。なぜなら天の父は人間の父親以上に、霊の子どもたちの必要を配慮して下さるお方だからです。

なぜ思い悩んではいけないのか、と言うと、日々の必要に関して思い悩み、心を乱すとき、無意識に、気づかないで、日々の必要を満たすことが生きる目的になってしまいます。それは神さまの御心ではないのです。天の父に信頼しつつ、イエスさまの弟子として今日なすべきことを忠実になす、それが神の子とされた者の生き方です。天の父は、そのような霊の子どもたちの必要を決して無視されないお方です。信頼する者を最後まで導き、必要の一切を満たしてくださる、生きておられる愛の神さまです。そのような者の将来は、天の父の御手のなかで最善に計画されています。神さまはご自分の御子イエスさまを信じる者を、だれでも、ご自分の子として受け入れてくださるお方です。

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