ポセイドン・アドベンチャー
中山仰
- 元東広島教会 牧師
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「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」
新約聖書 マタイによる福音書 7章13~14節
みなさん映画『ポセイドン・アドベンチャー』を見たことがありますか。ストーリーが面白いこともありますが、随所に教えられたことがありました。聖書と照らし合わせるとなお面白いことが分かります。
千何百人乗りの豪華客船ですから衝突して船が沈むなどということは誰しも予想すらしていません。実際に転覆しても、すぐに誰かが救助に来てくれるとたかをくくって、そのままパーティを楽しんでいる多くの人が登場します。船の中央の大ホールは3階くらいを通して造られていますので船が転覆して真っ逆さまになったとき、出入り口は天上の隅の全く届かないところになってしまっています。そこから脱出する手段はホールの中央に飾ってある巨大なクリスマス・ツリーだけです。脱出しないと思ったわずか10人前後の人たちが挑戦し、上りつきますが、他の人たちはまるで人ごとのように酒を飲みながらその様子を眺めているだけか、それまでどおり酒食を続けています。ツリーは一部の人たちが上り終えると、他の人びとを拒絶するかのように落ちて崩れます。もう誰も上がってこられません。
脱出した人たちの中には牧師がいてリーダーとしてみんなを導きますが、グループの中には刑事もいて、ことごとく対立し、反対されながらもなんとかみんなを船尾へと導きます。リーダーの牧師は船の知識があり、船尾の鉄板が一番薄いことを知っています。救助隊は必ずそこの鉄板を焼き切って救出するはずだと予測できたからです。
無事にホールからはい上がった彼らの目に飛び込んで来たのは、船尾ではなく船首へ向かう大勢の人たちでした。グループの中でも意見は分かれます。その時リーダーである牧師は、「大勢の人が行くからといって真理とは限らない」と言います。しかしやはり船首に向かう人びとに同調する何人かがいます。
海水は徐々に浸水し、あるところまで来るとそれ以上は浸かっていて、もぐる以外にありません。体力の一番ある男性が行けるかどうか潜って確かめにいきますが、自分の息の限界があり、ロープでも渡さないと、みな途中で息が続かなくなるであろうという報告でした。一同愕然としていると、船のあちこちを移動するときに、みなに助けられながらやっと着いてきていた足の少し悪い女性が名乗りを上げます。私は昔水泳が達者で普通の人より息は続くし、泳ぎも達者だから私にやらせてほしいということで、みんなの期待を一心にロープをもって水の中へと吸い込まれていきます。思いのほか長い時間がかかり、みなが駄目だったのだろうかと思ったとき、ロープを引っ張って知らせが届きます。みな喜んでその張られたロープを頼りに曲がりくねった客室の中を伝って行きます。息のできるところまで来たとき、みんなはその女性が体力の限界を尽くしてこと切れている姿に出くわします。
そのような犠牲者や、はぐれていく人のいる中で、船尾のところに数人がたどり着きます。スクリューのある部屋へ入ろうとしたところ、その部屋も逆さになっているので普段なら腰の位置で動かせるハンドルも前方の少し高いところにあります。さらに横のパイプからガスが噴出しています。そのハンドルを回す以外に助かる道はありません。その時です。今までリードしてきた牧師がそのハンドルに飛びついてそしてハンドルにしがみついたまま回し始めました。残りの数人があいた入口から潜り込むことができましたが、ついに力尽き、牧師は下に落ちていってしまいました。
ついに待望の救助隊がやってきました。ガスバーナーで鉄板を焼き切ってそこに閉じこめられていた人の救出をしたとき、救助隊の叫びが印象に残ります。「助かったのはわずかこれだけか」という呻きに近いものでした。
マタイによる福音書の7章にある有名な主イエスの言葉が響いて聞こえないでしょうか。
「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」 (7:13-14)
大勢の人が行っているから、言っているから正しいとは限らないのです。正しいと信じている人が多くても、真理以外のものは滅びの道なのです。
人生はまさに航海にたとえられます。どんな財産や地位も命の足しにはなりません。「そして、一同に言われた。『どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである(ルカ12:15)。』」命のことについては、真理を救いとしなければ解決されません。人生が逆転することもあります。それまでの地位、名誉、肩書きなどが一切通用しない状況に追い込まれることさえあります。とつぜん怪我をした、病気になった、入学試験に失敗した、職場を解雇された、など、人生には様々な逆境もあります。それまでの生活が一転するような状況は、ポセイドン・アドベンチャー号が真っ逆さまにひっくり返った様相と同じです。その時に渡ることのできた橋は、クリスマス・ツリーに象徴されるイエス・キリストです。
「イエスは言われた。『わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。(ヨハネ14:6)』」
ロープを水中に命をかけて張った女性は、それまでみんなの足手まといになっていた彼女の感謝の気持ちから出たのでしょうか。教会では役に立たない人は一人もいません。みなイエス・キリストにあって真の兄弟姉妹です。愛において一致しています。困っている人たちや弱っている方々のために祈ることができるからです。
そして最後に死を覚悟してハンドルに飛びついた牧師の犠牲的な行動の上に、数人だけが救出されました。私たちの救いのために十字架で贖いの死を遂げたイエス・キリストの愛を見る思いです。