『もう一人の博士』

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聖書の言葉

イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」

新約聖書 マタイによる福音書 2章1~2節

赤石めぐみによるメッセージ

クリスマスおめでとうございます。

今日は各教会で、クリスマス礼拝が行われます。今から準備しても間に合います。皆様に、イエスさまに会いに、クリスマス礼拝に来ていただきたいな、と願いつつ、今日はもう一冊、10代の人たちに向けて書かれたクリスマスの本をご紹介したいと思います。

最初にお読みした聖書の言葉にあるように、東の国から3人の博士たちが、生まれたばかりのイエスさまを礼拝しに、ベツレヘムにやってきた、というお話があります。3人の博士は星をたよりに旅をしてきて、ベツレヘムで、イエスさまを礼拝したのでした。

聖書には、贈り物の名前が三つ書いてあるので、博士は3人だったように思われているのですが、今日ご紹介する本の題名は『もう一人の博士』。19世紀のアメリカの牧師さんだったヘンリ・ヴァン・ダイクという人が書きました。実は、もう一人博士がいて、4人で来るつもりだったのに、ひとりは遅れて、イエスさまがベツレヘムにいらっしゃるうちに、間に合ってイエスさまにお会いすることが出来なかった、という物語です。その「もうひとりの博士」の名前はアルタバン。ペルシャの国の博士で、ゾロアスター教の信者のようですが、ユダヤ教の聖書の預言にも詳しく、その預言の言葉から、イエスさま誕生の時期を計算してつきとめ、仲間の3人の博士たちとともに、生まれたばかりのイエスさまを礼拝するために旅立ちます。

けれども、アルタバンは、他の3人との待ち合わせ場所に向かっていたとき、死にかけているユダヤ人に出会ってしまいます。その箇所を少し読んでみます。

「アルタバンは、息もつまるばかりであった。それは、恐ろしさのためではなく、こんなやっかいな事件にかかりあって、みすみすおくれることの腹立たしさからであった。どうして、この木かげにとどまって、死にかけている外国人を看護などしてられようか。(中略)ほんの一時間でも、ここにぐずぐずしていたら、約束の時刻に・・・着けないだろう。そうしたら、三人の友だちは、自分が旅をあきらめたと思うだろう。(中略)しかし、アルタバンが見捨てていけば、この男は、死ぬにきまっている。ふみとどまるなら、いのちをとりとめるかも知れない。このさしせまった事態に、アルタバンの胸は、はげしくどうきをうつのだった。」

アルタバンはこの人をほうっておくことが出来ませんでした。このユダヤ人を助けてから旅を再開したのですが、案の定、3人は先に出かけてしまい、アルタバンは3人に追いつくために、一人で砂漠を旅しなければならなくなりました。旅路は守られて、仲間たちより3日遅れでベツレヘムに到着しました。でも、アルタバンが到着したその晩、ヘロデ王によってベツレヘムの赤ちゃんが皆殺しにされる事件が起きました。イエスさまと両親は、既にエジプトに逃れたあとでした。アルタバンは、イエスさまに会うことが出来なかったのです。

そのあともアルタバンはイエスさまに会おうとしました。イエスさまに会うには、「貧しい者、身分の低い者、悲しんでいる者、しいたげられている者の中を注意してみていなさい」と助言されたので、そういった人々のところに行ってイエスさまを探しました。でもイエスさまに会えそうで会えない。その代わり、行く先々で出会った貧しい者、悲しんでいる者を助けて回りました。そうして33年も経ってしまいました。

アルタバンはもう一度エルサレムに来ました。イエスさまが十字架につけられようとするところでした。ペルシャの国から、生まれたばかりのイエスさまにささげるつもりで持ってきていた宝石のうち、最後の一つが残っていたのですが、それをささげて、身代金とし、イエス様を助けようと思った矢先、目の前で別の女性が奴隷として売られようとしていたので、その女性を助けるために最後の宝石を使ってしまいます。アルタバンはこれで、イエスさまにお会いする最後のチャンスも失ってしまいました。イエス様が十字架上で亡くなられたとき、大きな地震が起きて、その地震でアルタバンも命を落とします。アルタバンは死ぬ間際にイエスさまの声を聞いたようです。アルタバンがそれに答えて言いました。

「わが主よ、いつ、わたしはあなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、渇いているのを見て飲ませましたか。(中略)33年間、主をさがし求めておりました。しかし、お顔を見たことも、お役に立ったことも、ただの一度だってないのです。」

これに対して美しい声の答えがありました。

「あなたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらのもっとも小さいもののひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである。」

この声を聞いてアルタバンは息を引き取りました。物語は、アルタバンはこのようにしてイエスさまにお会いすることが出来た、と締めくくっています。

こういうイエス様との出会い方もあるのです。そして、日本では、クリスチャンでなくても、イエスさまが教えられているとおりのよい行いをする、アルタバンのような方がたくさんいらっしゃることも知っています。そして、神さまはそのような方々のことを喜んでいらっしゃると思います。

でも、イエスさまの影を追うだけの生き方ではなく、イエスさまと直接お会いして、弟子として、イエスさまと共に生きることの素晴らしさは、何にも代えがたい喜びであるということを、わたしは声を大にして言いたいと思います。生きているという実感と喜びがあるのです。ですから、皆様にも、間に合ってイエスさまに出会っていただきたいなあ、と願っています。どうぞ教会の礼拝にいらしてください。皆様がそこで、イエスさまにお会いすることができますように。

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