クリスマスを待っている一人のおじいさん

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聖書の言葉

そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。そして、主が遣わすメシヤに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。

新約聖書 ルカによる福音書 2章25~26節

金度亨によるメッセージ

すでに、百貨店にはクリスマスキャロリングが流れており、ツリーはそれぞれ自分の姿を輝かせています。子ともたちはサンタクロースからプレゼントをもらうためクリスマスを待っています。 親もサンタクロースの代わりに、自分の子どもに密かにプレゼントを用意することを楽しみながらクリスマスを待っています。若い人々は愛のプロポーズをする日としてクリスマスを待っています。

しかし、子どもと若い人、そして親だけの待つクリスマスではありません。特に聖書の中ではおじいさんが待っている特別な日でもあり、今日はそのおじいさんを紹介したいと思います。このおじいさんはすでに2000年前にイスラエルに住んでいた人です。名前はシメオンです。

このおじいさんの唯一の夢は、死ぬ前に救い主であるイエス様にあうことでした。それで、長い間クリスマスを待っていましたが、年を取ってしまい、力も弱くなり、イエス様を見るために東方からベツレヘムに来た博士達のように、イエス様を探しに旅をすることも出来なくなりました。ただ、イエス様が自分の所に来られることしか希望はありません。

今日の聖書の中で、やがてイエス様はこのおじいさんのところに来ます。このおじいさんはイエス様を抱きしめながら、「この僕(しもべ)を安らかに去らせてくださいます」と、叫びながら、クリスマスの主人公であるイエス様を見つめながら、やっと死ぬことが出来ると叫びながら喜びに包まれます。

イエス様はこの一人のおじいさんに会うために、命に迫られる決断をなさいます。ある伝説によると、イエス様は洞窟で生まれ、聖書では宿屋を取ることが出来ず、馬小屋の汚い飼い葉おけの中に置かれてしまいます。その馬小屋がある旅館には多くの人々が住民登録するためにあっちこっちから馬やロバに乗って来たので、ちゃんのイエス様がおられる馬小屋は、馬やロバで一杯になっていたとも考えられます。私も子どもの時に家が牛を飼っていたので、生まれたばかりの赤ちゃんがいるべきどころではない事を知っています。普通赤ちゃんを生みますと、衛生的に安全な無菌室の中で保護します。イエス様は危険に迫られています。

また、宿を借りる十分なお金もなかったようです。ユダヤ人の伝統では、長男が生まれて40日が過ぎますと、エルサレム神殿に行って、神様に献金を捧げるべきでありますが、献金の代わりに鳩を捧げるのを見ますと、本当にわずかなお金で40日間、イエス様が生まれたベツレヘムで住んでいたとも考えられます。もしかすると、40日間、宿を借りるお金がなくて、長い時間を馬小屋の中で生活をしていたかもしれません。そうしますと、赤ちゃんには健康に致命的な非衛生的な場所ですので、とても危険です。そのような状況でおじいさんに会う準備をしているのであります。

イエス様はもうひとつの危険にせまられています。イエス様が生まれた当時の王はヘロデです。自分の妻や子供たちを殺してしまう凶暴な王でした。彼はメシヤすなわち、ダビデの子孫として来られるイエス様の存在を知っていました。後にメシヤであるイエス様が生まれたことを聞いて、イエス様を恐れるあまり、ベツレヘム地方に軍隊を派遣して生まれた2歳以下の男の子を皆殺しします。そのヘロデが統治しているイスラエルの中心地でもある、エルサレムにイエス様は入ったのであります。もしこの事実をヘロデ王が知ったならば、直ちにイエス様を含め、マリアとヨセフは殺されるかもしれません。命をかけてイエス様はエルサレム神殿に入り、そのおじいさんのところに行きます。おじいさんはイエス様が救い主であるんだと叫びながら、ヘロデ王も恐れず、喜びの歌を歌います。

なぜ命の危険に迫られながらも一人のおじいさんにあってくださろうとしてしたのでしょうか。イエス様の生まれた時に天使が歌いました。<いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適うものにあれ>、平和を宣言するためです。罪によって永遠に滅ぼされるべき罪人のために、ご自身を捧げ、イエス様において神と罪人が平和の中で共に生きる存在とするためでした。マタイによる福音書では、イエス様の名前の代わりに、インマヌエルと言いました。「神はわれわれと共におられる」という意味です。人間の罪があっても問題ありません。すべてを神が決めたのであります。

クリスマスの主人公であるイエス様に会いたいと願っておられるならば、自分の命すら惜しまず、大胆にエルサレムに上られたイエス様はきっと皆さんに会ってくださり、それによってインマヌエルを体験し、イエス様において神様との真の平和を体験することが出来ます。クリスマスはクリスチャンのものではりません。すべての人に向けてなされた神のプレゼントです。とにかく楽しんでください。祝福の日ですから。しかし、これは忘れないで下さい。命を惜しまずエルサレムに上られたように、一番クリスマスを待っていた方は、イエス様ご自身であることを。皆さんがイエス様に会いたいと希望を持っていらっしゃるならば、きっと会ってくださいます。真のクリスマスの平和と喜びに包まれる皆さんになりますよう期待します。

メリークリスマス

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