ひとりのキリスト信者の誕生

ラジオ放送 キリストへの時間のトップページへ戻る

聖書の言葉

また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若い時、嫁いでから7年間夫と共に暮らしたが、夫と死に別れ84歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、そのとき近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。

新約聖書 ルカによる福音書 2章36~38節

城下忠司によるメッセージ

アンナという女性も、少し前に出てくるシメオン老人も長い間神さまに待たされ、ついに、幼子のイエスさまにお会いしました。そして、人生の最高の喜びのうちに、救い主イエスさまを人々に紹介し、安らかに人生を全うしました。

私は今日、一人の女性が長い間待たされて、遂に信仰に至るまでの物語を語ろうとしています。彼女は小さな村の庄屋の次女として生まれましたが、妹の出産の際、母が死亡するという悲しみに会いました。父親は母の妹と直ぐに再婚し、次々に子供が産まれることとなり、継母の目は実子にのみ注がれ、三人の姉妹は女中同様の扱いを受けて育ちました。継母の仕打ちはひどく、お手伝い同様に土間で食事をさせられ、着るものも粗末なもので、その上風呂には殆どいれてもらえず、酷い姿で暮らしたと語りました。

ある時、四国霊場を回っていた遍路に宿を貸した際、遍路はあまりの酷い三姉妹の姿に同情して、その後数年にわたり、面倒を見ることになりました。当時義務教育であった小学校にも殆ど行かしてもらえず、野良仕事に明け暮れながら、この遍路に沢山の教育を受け、知識や人の世の道など多くのことを教わったことに感謝をしていました。

彼女は10代で結婚し、男の子に恵まれ、その後の20数年は幸いな人生を歩みました。しかし、長男の結婚から1年目に嫁が死に、直ぐに再婚して女子が与えられたものの、3年後に息子は死亡、続いて5年後に嫁も死亡するという不幸に見舞われました。その5年後、農地改革の直ぐ前に夫も死亡し、夫婦で築き上げた農地は全て改革によって政府に買上げられ、全てを失ってしまいました。当時10歳の孫娘と二人の生活を考えると絶望と恐怖に襲われ、どうしてよいか立ち尽くしてしまったと、当時の心境を語ってくれました。

私の愛読する聖書に「コヘレトの言葉」という一巻があります。3章の初めのことばはこんな言葉ではじまります。

「何事にも時があり、

天の下の出来事にはすべて定められた時がある。

生まれる時、死ぬ時、

・・・

泣く時、笑う時、

・・・

求める時、失う時、

・・・愛する時、憎む時、

・・・

神は全てを時宜にかなうように造り、

また、永遠を思う心を人に与えられる。

・・・

わたしは知った。

すべて神の業は永遠に不変であり、

付け加えることも除くことも許されないと。

神は人間が神を恐れ敬うように定められた。」

神さまの定められた時を私たちは知ることはできません。しかし、神さまの約束は決して変更することは無いのです。

話を物語に戻しましょう。5年ごとに肉親の死を経験する中で、彼女はどれほど神や仏やあらゆる宗教に救いを求めたか知れません。小学校5年生の孫娘を抱え、行く末に大きな不安を覚えながらも、孫の将来に希望をいだきながら生き抜いてきました。孫娘には幸せな結婚を願っていたことは言うまでもありません。孫娘はキリスト教会へ通うようになり、信者と結婚することになりました。反対することはありませんでしたが、ある時、「あの四辻で磔(はりつけ)にされたというキリストさんをどうして拝むのか」と言ったそうです。学校にも行っていない田舎産まれの彼女がなぜキリストという名前や磔にされたという知識を何処で得たか不思議ではあります。推測をすれば早くに死んだ長男の部屋には旧約聖書と新約聖書があったことと、エホバという名前のついた雑誌を取っていたこが理由かも知れません。

彼女は孫娘が結婚してからの大きな希望は跡取りの男の子が生まれることでした。12年間一人で苦労して育てた孫娘への希望はひ孫の誕生であったはずです。男の子が続けて2人誕生したときの彼女は今までの苦労を忘れるほどの喜びでした。彼女の人生の長い暗闇は光の射す喜びの日々に変わりました。我が家に襲い続けた不幸という悲しみの生活は明るい希望の人生に一転しました。孫娘の仕事の都合で田舎の家屋敷を処分して町へ引っ越すことになり、80年近く住んだ家の神棚や仏壇を全て捨てても不平不満を言わずに、従っていったことは、どんなにか大きな決断が必要だったか想像できます。

彼女は80歳で「キリストさまは偉い、神様では一番偉い」と語りました。彼女のこころに働いてくださったのはあの磔にされたキリストさんだったのです。彼女がどんな風に、また、どの程度イエスさまを信じたのか分かりません。でも、彼女は洗礼を受け、のちに認知症が現れ84歳で天国に召されました。人生のあらゆる時は私たちの目には隠されていますが、神さまは不思議な方法で不思議な時を定め、救いの業を見せてくださるお方であります。使徒言行録16章に伝道者パウロとシラスの前で、監獄の看守が質問した次の言葉を思い出します。「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」二人はいった。「イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」看守とその家族が神さまを信じる者とされ、救いの喜びが家族全員のものとなりました。この喜びの人生は私たちに約束されている神さまの愛のドラマであることを皆さんに知っていただきたいと願います。

関連する番組