信仰直言『神は理不尽か?』

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聖書の言葉

特定の引用箇所はありません

旧約聖書 創世記

市川康則によるメッセージ

田村:今週も先週に続いて、市川康則牧師の「信仰直言コーナー」をお送りいたします。市川先生、おはようございます。

市川:おはようございます。きょうも頑張って参りましょう。

田村:はい頑張りましょう。今朝はどんなお話しでしょうか。

市川:はい、「神は理不尽か?」というお話しです。

田村:えーっ? 理不尽? 何だか、むずかしい言葉ですね。

市川:すみません。分かりやすく言えば、神様は人間に対して意地悪で、厳しい方か?ということです。

田村:面白いテーマですね。テーマというか、考え方自体が変わってますね。

市川:そうですね。普通、神は愛だとか、神は恵み深いと言いますから、神が意地悪とか、厳しいなんて言うことは不自然ですよね。もうだいぶ前になりますが、旧約聖書の創世記2章の物語からお話ししたことがあります。

田村:創世記2章と言えば、神様が最初の人アダムを造られ、そのアダムに一つの禁止命令を与えられたというお話しのところですね。

市川:そうですね。その禁止命令ですが、その具体的内容は、エデンの園の中央にある「善悪の知識の木」の実から取って食べてはならないというものです。

田村:他の木は、どれから取って食べても良かったのですね。

市川:はい。少し前に、ある人に言われました。そもそも、なぜ神はそんな命令を人に与えたのか。恵み深い神、愛に満ちた神なら、もっと祝福に満ちた約束とか招きとか。積極的な表現で人に意思表示をしたらいいのに。それで、ずっと前にこの箇所からお話ししたことを思い出したわけです。

田村:なるほど。でも、言われてみれば、そんな気もしますね。なぜ、神様は取って食べるなと、否定的な表現で言われたのでしょうね。それと、善悪の知識の木とはどんな木なんでしょうね。

市川:善悪の知識の木とは、実際どんな木だったのかとか、この木は他の木にはない特別の効能があり、大変高価だったのかなどと詮索する必要はまったくありません。

田村:ついつい詮索したくなりますね。

市川:別にどんな木だっていいんです。松の木でもボケの木でも(笑)。いや、木でなくったっていいんです。例えば、この石に触(さわ)るなとか、○を書いてこの中に入るなとかね。

田村:ええっ?そんなのでもいいんですか。「善悪の知識の木」というからには、やはり何か特別な木なんじゃないんでしょうか。

市川:大事なことは神様が言われたことに従うということです。善悪の知識の木と言われるのは、聖書の信仰と思想においては、神を畏れかしこむ、神の御心に従う、これこそが知識・知恵・賢さの源であり、その保証であるであるということです。この木が実際どんな成分を持っていたかという関心はさておき、人が神様との関係で如何にあるべきかを示すという意味で、象徴的な名が付けられています。大事なことは、とにかく神が言われたことを守るということです。

田村:なるほど。

市川:それでは、真理子さん、神様はアダムに実際、何とおっしゃいましたか。

田村:その善悪の知識の木から取って食べるな、ということですね。

市川:そうでうね。それ以上でも、以下でもありません。さて、神様がなぜこのような禁止命令を与えられたかということですが、これは創世記2章16節に記されています。

田村:はい。

市川:この命令の言葉の直前には「園のすべての木から取って食べなさい」とあります。木から取って食べなさいとは、木から「実」を取って食べなさいということですね、当たり前ですが。木なんて食べられませんからね(笑)。

田村:余計なことはいいですから。

市川:失礼しました(笑)。つまり、どんな木からでも、好きなだけ取って食べていいということです。ただ、善悪の知識の木の実―それが何であるにせよ―それさえ食べなければいいわけです。

田村:はい。

市川:この創世記2章のもう少し前の所、9節にはこう書いてあります。「主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木をハエ生えいでさせられた。」神様が食べるなと仰ったのは善悪の知識の木の実だけです。他のどの木からとって食べてもよい、その中には命の木もある訳ですから、それからとって食べてもいい、それを取って食べるなら永遠の命に生きる、神様とのいっそう豊かな、破れることのない交わりの中に生きるとことできることを暗示しています。

神は、善悪の知識の木から取って食べるなと言われた直後に、付け加えられました。「食べると必ず死んでしまう。」これは、この知識の木の実には毒が入っているということではありません。これを食べるなら、つまり、神様の戒めに背くなら、神が死を以って罰するということです。死とは決して自然現象ではありません。死は罪に対する神の怒り、処罰です。この木から取って食べるなら、それは神の戒めへの違反ですから、神は死を以って罰せられる、しかし、食べないなら、神は罰せられない、そして、命の木を食べることも許され、あるいは、それへと招かれてさえいます。つまり、簡単にいうと、神の戒め(御心)に従って生きるとき、人は神との豊かな交わりの中で永遠に生きるいうことなのです。

田村:なるほどね。善悪の知識から食べるなというのは、神様の意地悪ではなく、神様の恵み深い導きの中で、神様との交わりの中に生きるということなのですね。そのことが、命の木を食べることが許されている(命の木は開放されている)ということに暗示されているわけですね。

市川:まさに、そうです。神様は、何かをしろ、とおっしゃったんじゃないんです。ただ、一つの木を食べるなとおっしゃっただけなんです。それだけで命が与えられることになるのです。こんなありがたいことはないですよね。

田村:でも、神様の戒めですから、そう簡単に行なえるとは思えないですね。

市川:この点を他の物語と比べて、はっきりさせましょう。真理子さん、かぐや姫のお話、知ってますか。

田村:知ってますわ。竹取物語でしょう。

市川:そうです。絶世の美女であるかぐや姫に一目会いたい、何とかして自分のものにしたいという人がわんさかやって来たけれど、かぐや姫は問題にもしなかった。けれども、おじいさんの頼みで、5人の貴公子のプロポーズを受け入れた。但し、条件があり、それを果たした人と結婚しましょうということになった。かぐや姫は彼らにいろいろのものを持ってくるように言います。例えば、インドの仏の石でできた鉢を取って来い、東の海の蓬莱の山から銀の根、金の茎、白い玉の実を付けた木の枝を取って来い、中国にある火鼠の皮衣を取って来い、龍の首にある光る五色の玉を持って来い、燕の子安貝を持って来いと、まあ、ありもしないものを要求し、無理難題を突き付けたというわけです。かぐや姫を手に入れたければ、実際には不可能なことをしなければならないんです。これは気の毒ですよ。

田村:最後は結局みんな失敗したんでしょ。

市川:そうです。最後に天皇がかぐや姫に会いたいと遣いの者を送ったんですが、結局会えなかった。姫は自分の形見に不老不死の薬を天皇に贈ったんだけれど、姫のいないこの世でそんな薬をのんで生き続けても空しいということで、それを富士山に捨ててしまったということです。かぐや姫の物語は人間の真の、究極的な喜び・望みを問題にしています。聖書的にいえば、結局は永遠の命、本当の救い、もっと言えば神との交わりこそが人の究極の望み・喜びなんですが、それはしかし、人間がどんなに努力しても、難行苦行しても得られないという一種の悲劇なんです、この物語は。

田村:そうですね。それとアダムの戒めとはどう関係するんでしょう。

市川:そこなんです。かぐや姫は自分にプロポーしにやって来た人に無理難題を突きつけました。しかし、聖書の物語では、神様はアダムが神様と交わり、永遠の命のうちに生きるためには、何もむずかしいことを要求されませんでした。どこかに行って何かを持って来いとか、これこれをせよということではなく、善悪を知る木からは取って食べるなということだけです。取って食べなきゃいいんです。アダムはその木の実を食べなければ死ぬというわけではありません。ギリシア神話にプロメテウスの火というのがありますが、プロメテウスは太陽の神アポロンのところに行って火を盗み、そのために体を焼かれることになります。しかし、そのお蔭で人類は火を使うことができるようになりました。火は人間生活に不可欠ですね。しかし、これもアダムの場合とまったく違いますね。アダムは自分のためにも、人類のためにも、その善悪を知る木の実を食べる必要はありません。真理子さん、子どものとき学校で、この問題できた人から帰っていいなんて、先生に言われたことありません?

田村:どうだったかしら。

市川:私はよくありましたねえ。そして、全然できなかったんですよ。先生、恨みましたね。この先公、こん畜生なんてね。でも、よくできる奴にとっては有り難いんですね。なんて優しい先生だろう、こんな簡単な問題できたら帰っていいなんて、ということになるわけですよ。

田村:そうですね。何かをしなさいというんじゃなくて、これを食べてはいけないというだけですからね。しかも、食べなくても何の不都合もないですからね。

市川:そういうわけで、神様は人間を創造し、最初に関わりを持たれたそのときに既に、恵み深い方、憐れみに満ちたかただったわけです。

田村:なるほどね。市川先生、有り難うございました。

市川:有り難うございました。お茶とケーキはまたいつか。

田村:(笑いながら)はい。ラジオをお聞きのあなたの上に恵み深い神様の豊かな祝福がありますように、お祈りしています。

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