試練に耐え抜く信仰

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聖書の言葉

神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。

新約聖書 コリントの信徒への手紙一 10章13節

吉田謙によるメッセージ

皆さんは、みの虫や青虫が、やがてさなぎになり、そのさなぎがやがて皮をやぶって、蝶々になって出てくるのをご覧になったことがあるでしょうか。ある大学の研究グループが、この蝶々がさなぎから脱皮するのを、ハサミやピンセットを用いて助けてやったそうです。そして、その蝶々を机の上に並べました。その蝶々はどうなったでしょうか。何と一匹も飛ぶことが出来なかった、と言うのです。研究グループの人たちは、この実験を通して、外部からの助けによって脱皮した蝶々は、一匹も飛べないことを発見したのです。

蝶々は、さなぎから脱皮する時に、もがくことを通して、実は次の段階の「飛ぶ」という力を身につけていくのです。ですから自分で皮を破って出てくるのではなくて、人の助けを借りて出てきた蝶々は飛ぶことが出来なかった。その蝶々は、もがきながら押したり引いたりする動作を素っ飛ばしてしまったので、結局、飛ぶ力を身につけることが出来なかったのです。これは私たち人間にも言えることではないでしょうか。神様は、試練の中でもがき苦しむことを通して、私たちを鍛え、次のステップへと進むことが出来るようにして下さるのです。

パウロは、この試練と共に逃れる道をも備えて下さる神様のことを、ここで一言で言い表しました。それが13節の「神は真実な方です」という言葉です。「神は真実な方です」とは、神様が、ご自分の言葉、約束をどこまでも固く守り、それに忠実でいて下さる、ということです。そのことが、神様の独り子イエス・キリストにおいて、鮮やかに示されました。神様は私たちを救うという約束を果たすために、ご自分の独り子を十字架につけて下さったのです。

しかも、それは私たちが神様との約束を守って、真実を尽くしたから、神様も真実を尽くして下さった、というのではありません。私たちの側は、なお不真実です。なかなか神様を全面的に信頼し、従い抜くことなど出来ません。けれども、神様は、そんな私たちを、なおも愛し抜いて下さいました。たとえご自分の独り子を十字架につけるようなことになったとしても、罪人を救うという約束を守り通して下さったのです。これが、神様の真実なお姿です。そして、この神様の真実こそが、私たちの救いの鍵を握っているのです。

様々な試練に満ちた信仰生活の中で、私たちが心しなければならないことは、決して自分の足で立ち続けようとすることではありません。そうではなくて、イエス・キリストによって示されている、この神様の真実から目を離さない、ということなのです。

今年の2月に父が亡くなりました。父は、青年時代にイエス・キリストを信じ、その後、波瀾万丈の人生を送りましたけれども、最後の最後まで、その信仰を貫き通しました。父は、今から約25年前に、背骨の奥にある神経に多発性の腫瘍ができ、それを切除するために、背骨を切断し、切断した背骨は金属板とボルトで固定するという大きな手術を受けました。神経にできる腫瘍ですから、当然、神経の何本かを切断することになりました。そのために、父はその時以来、下半身が思うように動かなくなりました。また手術後も痛みがとれず、その後も手術を何度も繰り返しましたけれども、結局、最後までその痛みから解放されることはありませんでした。父は25年間、絶えず激しい痛みに耐えながら、闘い続けたのです。

様々な痛みを経験する時に「イエス・キリストの十字架のことを思い起こし、力づけられた」という話はよく耳にします。私の父も、まさにそうでありました。以前、父は、この歳になって、ようやくイエス様の十字架の痛み、苦しみがどれほど壮絶なものであったかが、少しだけ分かったような気かする、と言っていました。父の信仰は、激しい痛みを経験する中で、確かに成長していったのだと思います。しかし、決して父の意志が強かったので、痛みに耐えることが出来たのではありません。父は激しい痛みを経験する中で、イエス・キリストの十字架の苦しみと痛みを垣間見たのです。

イエス・キリストは、十字架の上で肉を裂き、血を流して、激しい痛みに耐えて下さった。そして大きく大きく手を広げて、「私はこんなにもあなたのことを愛しているよ」と十字架の上で死んで下さった。主は私を救うためにこんなにも壮絶な痛みを担って下さったというのに、私は今の今までそれを本当の意味で理解していなかった。本当に迂闊だった。父はかつてそういう意味のことを語っていました。激しい痛みと闘う中で、十字架のイエス・キリストが父の傍らにちゃんと寄り添って下さったのです。力づけ、慰め、励まし、支えて下さったのであります。だからこそ、父は激しい痛みに耐えることが出来ましたし、その中でより一層イエス様との信頼関係を強めていくことが出来たのです。

私の父が、傷んだ体をひきずりながらも、最後まで諦めることなく、闘い抜くことが出来たのは、何故でしょうか。その秘訣は何だったでしょうか。それは信仰です。神様を信頼し、神様の真実から決して目を離さなかったからであります。

今、目の前にある現実がどんなに暗く、絶望的であったとしても、私たちはそこから結論を引き出す必要はありません。どんなことがあろうとも、真実であられる神様は、きっと私たちを最後まで責任を持って導いて下さるはずです。ラジオをお聞きの皆様も、是非、この信仰を自分のものとしていただきたいと思います。来週は、この信仰によって重い難病を患いながらも、今、希望をもって生き続けておられる、ある青年の生の声をお届けしたいと思っています。どうぞ、ご期待下さい。

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