民謡と信仰-マイム・マイム

その日には、あなたは言うであろう。
「主よ、わたしはあなたに感謝します。
あなたはわたしに向かって怒りを燃やされたが
その怒りを翻し、わたしを慰められたからです。
見よ、わたしを救われる神。
わたしは信頼して、恐れない。
主こそわたしの力、わたしの歌
わたしの救いとなってくださった。」
あなたたちは喜びのうちに
救いの泉から水を汲む。
旧約聖書 イザヤ書 12章1~3節
この聖書の言葉、「あなたたちは喜びのうちに救いの泉から水を汲む」という文章を聖書の原文で言いますと、こんな響きになります。
וּשְׁאַבְתֶּם־מַיִם בְּשָׂשוֹן מִמַּעַיְנֵי הַיְשׁוּעָֽה׃
ずいぶん聞きなれない音だと思いますが、 これにこんな節がついたらどうでしょうか。
וּשְׁאַבְתֶּם־מַיִם בְּשָׂשוֹן מִמַּעַיְנֵי הַיְשׁוּעָֽה׃
同じ言葉を繰り返して、
וּשְׁאַבְתֶּם־מַיִם בְּשָׂשוֹן מִמַּעַיְנֵי הַיְשׁוּעָֽה׃
そして
מַיִם בְּשָׂשוֹן
ご存じマイム・マイムです。マイム・ベサソンというところは「喜びのうちに水を、水を」と繰り返しているのですね。これは聖書の言葉、「あなたたちは喜びのうちに救いの泉から水を汲む」という言葉だけを歌うフォークダンスなのです。昔懐かしいこのメロディーをお聞きください。
♪音楽
このマイム・ベサソン、「喜びのうちに水を」つまり「あなたたちは喜びのうちに救いの泉から水を汲む」というのはどういう意味でしょうか。この「あなたたち」はどんな喜びのうちに水を汲んでいるのでしょうか。
聖書にはこう書いてあります。「主よ、わたしはあなたに感謝します。あなたはわたしに向かって怒りを燃やされたが、その怒りを翻し、わたしを慰められたからです。見よ、わたしを救われる神。わたしは信頼して、恐れない。主こそわたしの力、わたしの歌、わたしの救いとなってくださった。」こういう喜びのうちに水を汲んでいるのですね。
神はかつて私に向かって怒りを燃やされた。しかし今、その怒りを翻して、神は私を慰めてくださった。見よ、私を救われる神。私は信頼して恐れない。
このようにして、神に出会うことのできた喜びのうちに水を汲んでいるのです。今思うと、神はかつて私に怒りを燃やされていたのだ。だから私は今まで、まるで砂漠の中を歩いているような人生だった。あるいは砂漠の砂を噛むような人生だった。しかし神はそういう怒りを翻してくださる神だったのだ。こんな慰めを私のために用意してくださっていたのだ。今、本当に私は救われた。神は私を救ってくださる方だったのだ。もう私は恐れない。もう何も怖くはない。これからは神を信頼して生きていこう。そういう喜びです。
砂漠のような人生の果てに、ようやく水にたどりついた。きれいな冷たい水をごくごく飲んで、本当に生き返った。そしてもうこの水は尽きることがない。これからはみずみずしい命を私も楽しんでいくことができる。そういう喜びです。そしてこの人は最後にこう言うのです。「主こそ私の力、私の歌、私の救いとなってくださった」。神が私の力になってくださった。力を失っていた私、私の中のどこからも力が湧いてこないときに、神が私の力になってくださる。これは本当です。歌など歌っていられない生活の中で、歌うことなど忘れてしまったような人生の中で、あるいは歌など歌えない一番苦しい状況の中で、神が私の歌になってくださる。これも本当です。
乾ききっていた私の魂が、みずみずしさを取り戻して、生き返ったようになって、気がついたら私は何か歌を口ずさんでいた。歌を忘れていた私だけれども、今、神が私の歌になってくださった。誰にも助けてもらえなかった、誰も救うことなどできない状況にあったこの私を、神が救ってくださった。こういうことが起こります。それが神に出会うということです。これは必ず起こりますから、ぜひあなたにもこれを体験していただきたいと思います。
神が私の力になってくださる、神が私の歌になってくださる、神が私の救いになってくださる。これは事実です。この事実をさして、マイム・マイムは「あなたたちは喜びのうちに救いの泉から水を汲む」と歌っているのですね。もしあなたが今、砂漠のような人生の中にいるならば、ぜひ、この救いの泉からさわやかな水を汲んでください。この水は教会という場所に湧いています。この水が湧くのは毎週日曜日の朝、今朝です。この午前中に、ぜひお近くの教会に足を運んでみてください。この水が本当に湧いていますから、どうぞあなたもこの水を汲んで生き返ってください。「あなたたちは喜びのうちに救いの泉から水を汲む」。