日曜日、私の場合

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聖書の言葉

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。

新約聖書 マタイによる福音書 11章28節

東中香代によるメッセージ

東中香代と申します。実は、主イエス・キリストを証する私の声がラジオ関西の電波に乗るのは2度目、25年ぶりです。4半世紀前のそれがきっかけで再婚し、二人の養子を得て、育て…とか色々ありました。今日も間もなく支度を始め、日曜日は教会へというのが私の生活の基本です。

「あんた付き合い悪いなぁ。毎週日曜日は巡ってくるんやから、神様かてたまに休むくらい許してくれはるって」などと親しいお友達に誘われることもありますが、ごめんなさい、キリスト者になってからの45年間、日曜礼拝を最優先で生きてきました。教会はキリストの体、エクレシア、召し出された者の集まり、孤立した信者は意味からして矛盾です。週の初めの日の朝、よみがえられたイエス様を覚えてキリスト教会では公の礼拝がささげられます。戒律だから、欠席は義理を欠くから、皆勤へのこだわりに縛られているから、などではありません。愛する主の招きに応じ、礼拝をささげたいから出かけるのです。

今は成人した息子がまだ小学生のころ、PTA会長のお鉢が回って来ました。「教会の日曜礼拝を優先したい。それ以外は一生懸命お役を務める。それでよければ」との条件をのんでもらった上で、日頃町内の神社のお祭りなどは失礼している分、いささかでも地域社会や子供の通う学校のお役に立てればとお引き受けしました。雨天順延で日曜日が運動会と重なった時は、PTA会長の挨拶をすませ、10時過ぎにはそのままトレーナーの軽装で学校近くの教会の礼拝に出、お昼には来賓席に戻りました。

また、PTA会長と同時に、統一地方選挙で当選し、市議会議員になりました。教育、福祉、環境の問題に大いに関心があり、1期4年間合計16回の定例議会では欠かさず毎回み言葉を絡めて議場で一般質問に立ち、いくつかのことを実現させました。一人会派のネーミングは「グリーン・パーティー」、「緑の党」ではなく、あのミレーの落ち穂拾いから「落ち穂拾い党」…取りこぼされがちな市民の声を、腰をかがめて拾い上げ市議会に届け、諮り、市政に反映させるというスタンスでした。夕拝で凌いだことは数回ありましたが、市議だったために日曜礼拝を欠席したことは1度もありませんでした。

さて、この番組をお聞きのみなさんの周囲にクリスチャンはいますか。日本のクリスチャンは人口のたった1%と言われています。ご家族、親戚縁者、ご近所の方、学校や職場のお仲間、お友達も含め老若男女100人を想像してみてください。その中にクリスチャンはたった一人しかいない勘定になります。聖徳太子以来「和を持って尊しとなす」が浸透していて、事の善悪正否はさておき、とにもかくにも自己主張よりは周囲に合わせることを重んじる国民性です。数少ないキリスト者はこの世の流れに竿差し辛いのです。勢い証は小声になりがちです。それともう一つ、聖書には、神様は愛する子を訓練なさるとあって、信徒は健康、家庭、経済の問題などのきびしい訓練で青息吐息となることも多々あり、周囲の方々の信者への期待やイメージに沿うことがむずかしかったり、キリスト者であることの本来的な喜びや幸いを表現するのがままならなかったりするのです。

私自身は10代の終わりに自分の罪深さに打ちひしがれて、誰に誘われたのでもなく罪からの救いを求めて一人自ら近所のキリスト教会に出向き、3カ月を経ず洗礼を受けました。福音の中心である「キリストは私の罪のために死んでくださったこと」を受け入れたからです。知性も理性も感情も働かせる間もなく、信仰によって聖書の示すイエス・キリストによる救いを受け取りました。以来聖書は個人でも家庭でも教会でも、所属教会以外の様々な超教派のセミナーなどでも、そして講じてこの春からは神学校で聴講生としても学んでいます。すっごく面白く、すご~く楽しいです。

一方、現在仏教大学の学生になって一般教養としての仏教、その起源や、歴史、本来の教え、インドから中国・韓国・日本への伝播のされ方、儒教や神道とも絡んだ日本での特異な変遷、等々、興味深く学んでいます。周囲の一人でも多くの方の心情を理解した上で、一足先に私が見出すことを許された、その恵みにあずかることができた、イエス様に関する素晴らしい福音をお伝えせんがためにです。

聖書は教えを学ぶ対象である一方で、元来、その言葉に生かされるためのものです。読み潰して何冊目かの私の聖書は、幾重にも色んな色で線が引いてあり、無数の書き込みがありますが、それ以上に聖書のこの個所を、このみ言葉を「生きた、咀嚼した、体験した」という飛び出す絵本のような、特殊メガネなしで見られるフルカラー3Dの映像のような味わいに満ちています。

婚家の我が家は三木市内で90年、家族だけで製造販売を営む零細なせんべい屋です。もちろん日曜日は定休日です。団塊の世代の私の半生、その急こう配の上り坂、目もくらむ下り坂、ジェットコースターのようなまさか連続の日々を濃密に深い感動と感謝に満たして下さっている主キリストに、私の魂の永遠を愛を持って決定し、導いていて下さる権威あるお方イエス様に、「わたしのもとにきなさい」「わたしのもとにきなさい」と、他ならぬお聴きのあなたも今招かれていることをお伝えします。今日、日曜日は教会へ、どうぞキリストのもとへおいで下さい。

最後に、今の私の思いを最大限的確に表した賛美の曲、勝利の歌Ⅱ56番、新聖歌では350番「主のめぐみ語るは楽し」をお聴きください。

♪音楽

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