それゆえ、主は

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聖書の言葉

それゆえ、主は恵みを与えようとして、

  あなたたちを待ち、

それゆえ、主は憐れみを与えようとして、

  立ち上がられる。

まことに、主は正義の神。

なんと幸いなことか、すべて主を待ち望む人は。

旧約聖書 イザヤ書 30章18節

宮﨑契一によるメッセージ

今お読みした聖書の中で、私が印象深く思う言葉があります。それは、「それゆえ」という言葉が繰り返し記されていることです。「それゆえ、主は恵みを与えようとして、あなたたちを待ち」と書かれていますし、「それゆえ、主は憐れみを与えようとして、立ち上がられる」とあります。

「それゆえ」というのは、私たちにとっても何気ない言葉のように見えます。ただ、この「それゆえ」という言葉があるからには、その前にどういうことがあってのそれゆえなのか、ということがあります。こういうことがある。それゆえ、神は恵みを与えようとしてあなたたちを待っておられる、という前とのつながりがあってのそれゆえ、ということになります。

では、この「それゆえ」の前には聖書にどういうことが記されているのでしょうか。それゆえ、神は恵みを与えようとしておられる。それゆえ、神は憐れみを与えようとしておられる、と聖書にはあります。ですから私たちは、自分たちが何か良いことをしたから、それゆえ、神は恵みや憐れみを与えようとしておられるのだ、と思うかもしれません。

私たちは普通、どうしてもそのように考えるのだと思うのです。自分が何か相応しいことをしたから、それゆえ神はそれに答えてくださる。恵みや憐れみを与えてくださると、考えることがあるのだと思うのです。ですから、自分が何か恵みや憐れみにふさわしく生きることができていなければ、自分みたいな者は神の恵みや憐れみには値しないのではないか、神は自分を見捨てたのではないか、そのようにも思うことがあるかもしれません。

しかし、この「それゆえ」の前に聖書に書かれているのは、私はこんなにも素晴らしいことをしたから、こんなにも輝いているから、それゆえ神は恵みや憐れみをお与えになる、ということではないのです。では、どういうことがあるのか。「それゆえ」の前に記されているのは、むしろ、本当に神に従おうとせず、神を拒む人間の姿なのです。神の言葉を聞こうとせず、神を拒む、罪ある人の姿です。崩れ落ちていくような人間の姿なのです。

つまり、「それゆえ」の前に聖書に記されていることは、神の恵みや憐れみに全く値しない人間の姿です。神の言葉を聞こうとせず、神を拒み、罪があり、崩れ落ちていくような人間の姿です。しかし、それゆえ、神は恵みを与えようとして、あなたたちを待っておられる。それゆえ、主は憐れみを与えようとして、立ち上がられる、のです。聖書の神は、私たちが何かそれに値する良いことをしなければ、恵みや憐れみを与えない、という神ではありません。もしそういう良いことができなければ、私はその人を見捨てる、という神ではないのです。返って人間には、それに値するものはありません。しかし、だからこそ、神は恵みを与えようとあなたたちを待っておられる、というのです。神は憐れみを与えようと立ち上がられる、というのです。

そして、そうであるからこそ聖書には続けて「なんと幸いなことか、すべて主を待ち望む人は」と記されています。聖書の神は、あなたたちを待っておられます。恵みを与えようとされます。また、憐れみを与えようと立ち上がっておられます。神にはそういう強い思いがあります。だからこそ、なんと幸いなことか、この神を待ち望む人は、と言われるのです。

私たちは普段、神を待ち望むことのない世の中で、それぞれの生活をしています。そういうなかで、私たちはやはり、こういう確かな存在をどこかで待ち望んでいるところがあると思うのです。弱さのある私たちに、本当に恵みを与えようと待っておられる。憐れもうと立ち上がってくださっている。こういう、私たちが信頼することのできる存在を待ち望んでいることがあるのだと思うのです。

今このラジオを聞いておられるあなたが、もしも、自分に罪があることを覚えたり、自分が崩れていくようなことを覚えたり、また何か自分が立ち行かなくなっているようなことを覚えることがあれば、この聖書の言葉を覚えていただければと思うのです。それゆえ、神は恵みを与えようとあなたたちを待っておられる。それゆえ、主は憐れみを与えようと立ち上がられる、ということです。だからこそ、この主を待ち望む人は、なんと幸いなことかと聖書には記されています。

神は、独り子であるイエス・キリストをこの世にお与えになりました。それは、この御子によって世が救われるためです。神の恵みや憐れみに値しない人間を、裁こうとされるためではありません。その者たちを救おうとされるために、神は御子をお与えになりました。神が恵みや憐れみを与えようとされることは、神が私たちのためにイエス・キリストをお与えになることにつながるものです。神様がどれほど強い思いを持って待っておられるのか、立ち上がっておられるのかは、キリストをお与えになったことに明らかにされています。

私たち人間には弱さがあります。神の恵みや憐れみには値しないような者です。しかし、それゆえ、神が私たちに熱意をもって向き合おうとされていることを、私たちは聖書を通して示されています。何にもまして、神が恵みを与えようと、あなたたちを待っておられます。立ち上がっておられます。そのことを知って頂きたいと願うのです。

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