創造主を心に留めよ

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聖書の言葉

青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。

苦しみの日々が来ないうちに。

「年を重ねることに喜びはない」

という年齢にならないうちに。

旧約聖書 コヘレトの言葉 12章1節

後藤公子によるメッセージ

ごきげんいかがですか。後藤公子です。私は中学から高校時代にかけて、生きていることに虚しさを感じていました。生きていることの意味を見いだせなかったからです。虚しさを感じながら、必死に生きる意味を探し求めていました。高校3年のとき訪れた教会で聖書に出会い、初めて聖書の神さまについて知りました。そのときから私の人生は変わりました。私を造られ生かしておられる神さまを知ったからです。

聖書の最初の書は創世記と言います。この書は、神さまが存在しておられること、その神さまが、人間を含めて宇宙に存在するすべてのものをお造りになられたことを私たちに告げています。造られたものの中でも特に人間は神さまにかたどってつくられました。神さまは肉の目では見えませんが、人格的また霊的な存在です。あなたも私も神さまにかたどって造られた存在であり、神さまとの関わりのなかに生きるように造られました。

「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。『年を重ねることに喜びはない』という年齢にならないうちに。」

ここで、お前の創造主に心を留めよ、とは、私たちを創造された神さまに心を留め、その神さまとの関わりのなかで生きるように、との招きです。そうするとき初めて、私たちは肉体的にだけではなく、霊的にも生きる者と変えられるのです。時間の経過と共に衰え滅びていく肉体の命とは異なる、霊的で永遠に続く命を与えられるからです。

「お前の創造主に心を留めよ」とは、今まで自分で生きていたかのように思っていた、あるいは、自分の人生なんだから思い通りに生きていけばいい、と思っていた、その罪に気付き、悔い改め、神さまの方へ方向転換をすることです。それを今しなさい、と促されています。苦しみの日々が来ないうちに、また「年を重ねることに喜びはない」、と言う年齢にならないうちに、そうするように、と神さまの方から私たちを招いておられるのです。

今若くてもいつの日か老いが現実になります。明日への希望をもちにくいのが老年です。若いときは、いま苦しくても、またいい時が来る、と希望をもつことができます。暗闇のなかでも光り輝くときが訪れるのを期待できます。若いときは肉体的にも強く、何でも思ったことができ、また前には未来が広がっています。

しかし、年老いると状況は非常に違ってきます。体の機能が衰えて行き、昨日できたことが今日できなくなります。ここで「苦しみの日々」とか「『年を重ねることに喜びはない』という年齢」と表現されているのは、そのような老年期を指しています。体の機能が日々衰えて行き、明日への希望をもてない日々は苦しみの日々です。

日々衰えていく自分と向き合いながら、「年を重ねることに喜びはない」と感じなければならない時が来る前に、神さまを知るように、と促されているのです。日本は男性も女性も世界でトップクラスの長寿国です。しかし実際には健康的な高齢者は少なく、多くの人が他の人々の助けを得なければ生きていくことができない状況にあります。

しかし肉体的な問題よりも、もっと深刻なのは精神状態です。日々衰えていく自分と向き合うとき、精神的に落ち込みます。親しかった同年代の友人が次々と亡くなっていく現実に、何とも言えない寂しさを覚えます。家族もみな忙しく、かまっていられない中で、孤独感、寂寥感を覚えます。

そのような「年を重ねることに喜びはない」、と感じる時が来る前に、創造主に心を留めなさい、と聖書は語っています。創造主なる神さまは、どこか遠くにおられ、苦心して探さなければならない神さまではありません。なぜなら実際には、私たちを存在させ、生かしてくださっているのは創造者なる神さまだからです。私たちは生きているのではなく、生かされているのです。このお方によって、私たちは生き、動き、存在しているのです。

どのようにして神さまを知ることができるのでしょうか。神さまご自身が私たちに聖書を与え、自己紹介をしてくださっています。聖書は神さまがどのようなお方であるかを私たちに知らせてくれます。神さまのひとり子、イエス・キリストによる救いについて教え、私たちを変え、どのように私たちが歩んでいけばいいのか指針を与えてくれるのが聖書です。私たちは聖書を通して、私たちへの個人的な神さまの語りかけを聞くことができるのです。

先週、イエス・キリストを信じた者に与えられる永遠の命についてお話ししました。聖書は言っています。「だから、私たちは落胆しません。たとえわたしたちの、外なる人は衰えていくとしても、わたしたちの内なる人は日々新たにされていきます。」コリントの信徒への手紙II4章16節

ここで「外なる人」とは肉体を指します。肉体の衰えに関して私たちはほとんど抵抗できません。しかし、たとえ肉体は衰えていっても、霊的な命に生かされてる「内なる人」は日々新たにされていきます。

私は若いとき、聖書と教会を通して創造主なる神さまに出会い、御子イエス・キリストの救いを通して、今に至るまで神さまとの交わりの中を歩むことが許されました。老いが現実となってきた今、若いとき神さまに出会った幸いをますます感じています。あなたも今日、同じ恵みへと招かれています。

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