死と生を考える

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聖書の言葉

弔いの家に行くのは、酒宴の家に行くのにまさる。そこには人皆の終わりがある。命あるものよ、心せよ。

旧約聖書 コヘレトの言葉 7章2節

後藤公子によるメッセージ

ごきげんいかがですか。後藤公子です。

この聖書の言葉を、私は若いときはよく理解できませんでした。実感がわかなかった、と言った方がいいかもしれません。しかし年を重ねるにつれ、何と真実で鋭い言葉なんだろう、と感じるようになりました。

ここで言われている弔いの家というのは、現代では葬儀場と言い換えることができます。私は葬儀場で遺体の納められた棺を前にし、いつも厳粛な気持ちになります。いつ自分は、今、目の前で横たわっている人のようになるのだろう、と必ず考えます。死を考えることは生を考えることです。いつかは自分に訪れる死について思いをはせるとき、残されている日々、意味のある生き方をしなければならない、と思うのです。

酒宴の家とはお祝い事のある家で、お酒やご馳走がふるまわれる場と考えることができます。たとえば結婚式を想像していただければいいでしょう。結婚式は喜びに満たされるときであり、だれも結婚式場では死について考えません。ごちそうを食べ、周りの人々と他愛ない話をするなかで、いつかは自分が死ぬ身だなどと深刻になる人はいません。むしろ結婚式などの酒宴の場では、出席者を楽しませる企画がなされますので、人々は笑い、浮かれ、現実をひととき忘れます。

弔いの家は私たちを現実に直面させ、酒宴の家は現実をひとときですが忘れさせます。誰でも楽しい酒宴の家へ行く方を好みます。しかし聖書は逆説的なことを言っています。「弔いの家に行くのは、酒宴の家に行くのにまさる。」これは逆説的ですが真理であり、私たちすべての者への鋭い警告なのです。

葬儀場は、例外なくすべての人の終わりの場所です。死から逃れることのできる人はいません。そういう意味ではもっとも確かな現実です。日ごろから現実逃避をして生きていても、死が間近に迫れば、だれでも現実に引き戻されるのです。突然、あと数カ月の命と宣告されることが起こります。しかしまだ宣告されるのはいいと思います。たとえ短い期間であっても、現実を受け止め、生き方を改める期間が与えられるからです。しかし必ずしも死期を告げられ、準備できるとは限りません。突然、死に襲われることもあります。そういう意味で、葬儀の場は、地上で残された限りある生について考え、必ず訪れる死に対して準備をするのに最もふさわしい場所と言えます。

「そこには人皆の終わりがある。命あるものよ、心せよ。」まさにその通りです。今生きていても、例外なく私たちには冷たくなって横たわらなければならない時が来るのです。そして、その時がいつ来るのかだれにもわかりません。他人の葬儀に参列し、死という現実に向き合い、生きていることが決して当たり前ではないこと、この地上での命が一瞬一瞬短くなっていること、そのことを命ある間に考えるように神さまは促しておられるのです。

長くホスピスでお働きになられた柏木哲夫先生という方の体験談を、講演で聞いたことがあります。多くの人を看取られた体験から、先生が確信をもって語られたことは、クリスチャンの死とそうでない人の死には大きな違いがある、ということでした。あるクリスチャンのおばあさんは、自分の命が残り少ないことを知りながらも、平安と喜びに満たされて最後の時を過ごしました。いよいよ最期の時、看取られた柏木先生に「先生、道が見えます」と言われたそうです。クリスチャンの娘さんは、「お母さん、行ってらっしゃい」と言って見送られたのです。まさにより良い世界への旅立ちの光景でした。

そのおばあさんは、なぜそのような最期を迎えることができたのでしょうか。それは彼女が生前イエス・キリストを信じ、永遠の命が与えられていたからです。だから彼女は死を恐れませんでした。死後の世界への確実な希望をもって最期のときを迎えることができたのです。

聖書は言っています。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネによる福音書3章16節)

神さまは独り子、イエス・キリストを信じる者に永遠の命を与えてくださる、と約束されています。イエス・キリストを信じ永遠の命を与えられた者は、最後の時にも確信をもって死に向き合うことができます。死もそのあとの裁きも恐れることはないのです。なぜなら、イエス・キリストが十字架の上で、私たちの犯した罪の罰を身代わりとなって受けてくださったからです。このお方を信じる者にとって、死はより良い世界、神とともに永遠に生きる世界への入り口なのです。

今日の題を「死と生を考える」としました。「生を考える」の生とは肉体の命だけを意味しません。もちろん死を現実の問題としてとらえ、自分の命に限りがあることを知って、地上で残された一日一日を大切に生きるのは素晴らしいことです。お医者さんから死期を告げられて、それまでの生き方を改めた人々の話を、私たちはしばしば耳にします。

しかし、聖書は肉体の命よりももっと大切な霊的な命がある、と告げています。それが、ここで永遠の命と呼ばれている命、神さまが、信じる者に無償でくださる命です。それは、肉体が滅びても永遠に続きます。この命を与えられた者は、永遠に神さまと共に生きるのです。今朝あなたも、イエス・キリストを信じて永遠の命を得るように招かれています。

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